後に『南都焼討』と呼ばれる平家と南都の僧の争いで大きな被害を受けた東大寺。
治承4年(1180)4月頃から打倒平家に立ち上がり、各地で源氏が挙兵するきっかけを作った源頼政と後白河法皇の息子・以仁王:もちひとおう:。
この以仁王に加担した興福寺を攻めるために平清盛が同年12月28日、五男の平重衡を大将軍に、副将軍には甥の平通盛を派遣し、南都一帯が炎に包まれました。
この2人はいとこで、通盛が2歳ほど年上かと推測されます。
正式名称は「金光明四天王護国之寺(きんこうみょう してんのう ごこくのてら)」だそうです。覚えられない…(>_<) 東大寺のホームページ「東大寺の創建」参考 → http://www.todaiji.or.jp/contents/history/
平家物語覚一本によると後に「南都焼討」と呼ばれる平家と南都の僧の争いは一日では終わらず、12月28日の夜、般若寺で平家が灯りをとるためにつけた火が強風に煽られて般若寺から南方へ燃え広がりました。
般若寺から東大寺へは約1.5km、さらに南へ500mほどで興福寺があり、この付近が甚大な被害を受けました。
写真右が北方向で、写っていませんが般若寺があります。
大仏殿の2階には歩いて遠くへ逃げるのが難しい老僧の他、僧兵ではない修学僧、稚児や女性たちなど1700人以上の人々が避難し、攻めてこられないように梯子を取り外してことが最悪の事態となりました。
そこに炎が押し寄せてきたので逃げられず、地獄以上の恐ろしい惨状に……興福寺なども合わせてこのとき炎に巻かれて命を落とした人は3500人を超えており、戦いで討たれた人は1000人余りと平家物語に記されています。
閉館した日本最大の蝋人形館・高松平家物語歴史館
■第八景 平重衡、大仏を焼く の場面より
多くの人々が亡くなった場所ですが現代では日本のみならず外国人観光客も多くみかける世界遺産です。
大仏殿に入らなくても外から大仏のお顔を拝観できるのは、元旦と8月15日の2日間の数時間だけ。大仏殿正面の桟唐戸が開かれます。
↓詳しくは東大寺ホームページ↓
http://www.todaiji.or.jp/contents/function/01syougatsu.html
東大寺南大門には南都焼討後の復興造営された門なんですね。
国宝
五間三戸二重門入母屋造、木造、本瓦葺、鎌倉時代
東大寺の正門で、東大寺伽藍の大半が治承4年(1180)の平重衝の兵火に罹って、焼失した後に行われた復興造営の一つとして建てられた。
大勧進の職に就いて復興造営の総指揮を執った俊乗房重源上人が、宋朝建築の特色を採り入れて編み出した、大仏様の建物で正治元年(1199)6月に上棟されており、その後数年を経ずして落成したと考えられる。
門内に安置されている木像金剛力士(仁王)像は運慶・快慶・定覚・湛慶等20名の慶派の仏師たちが、建仁3年(1203)に僅か69日間で造り上げたものである。
北向に安置されている一対の石造獅子像は、鎌倉復興造営に参画した宋人の石工達が建久7年(1196)に造ったものである。
南大門の金剛力士像
南大門から数メートル先、右手に東南院旧境内の解説板があり、ここには源頼朝が滞在したことも。
史蹟 東南院旧境内 解説板より
東大寺東南院は貞観17年(875)10月、理源大師聖宝僧正が薬師堂を創建し、その後延喜4年(904)佐伯院(香積寺)を移し寺観が整備せられた。
寺地が大仏殿の東南に位置するところから東南院と称せられ、三論宗と真言宗の二宗兼学の院家と成り延久3年(1071)三輪宗と真言宗の二宗兼学の院家と成り延久3年(1071)三論宗の本所となり、尊勝院と共に東大寺筆頭の院家となった。
白河上皇の御幸以来、天皇・上皇の御所となり南都御所ともいわれた。
鎌倉時代、後白河法皇や後醍醐天皇の行在所、或は大仏殿落慶供養会に臨席した源頼朝も当院に滞在した。 近くは明治10年2月明治天皇行在所となり名香蘭奢待を截香せられた。
尚明治8年2月寺内改革により東南院は東大寺本坊と改称し、一山を統轄することに成った。
昭和6年7月東大寺旧境内は史蹟に指定されたが、当院旧地の重要性に鑑み、同9年3月更に東南院旧境内を史蹟に指定し、保存が計られるに至った。
下記の説明によると南都焼討から約5年後の文治元年には大仏の開眼供養が、さらに10年後の建久6年には大仏殿が落慶供養。その速さに驚かされます!!
再建に尽力した重源:ちょうげん:。
大仏殿内には他にも多数の説明があります。
大仏の前には大きな蝶が。足が4対??
朝が早いのは難しいかもしれませんが、4~10月は朝7時半に開門で、参拝客がかなり少ない時間帯です!!
※季節により開門時間は変わりますので東大寺ホームページでご確認くださいね。
http://www.todaiji.or.jp/contents/guidance/guidance1.html
別の日の写真ですが参考に。
8時半ころから参拝客が増え始め、日中は下記の右写真の様子です。
大仏殿入堂口。昼間は行列ができますが早朝は写真の通り。
奈良県庁屋上からの眺めもステキです。
写真左の建物が大仏殿です。
屋上の開放は奈良県のホームページでご確認くださいね。
http://www.pref.nara.jp/4203.htm
東大寺はお水取りで有名な二月堂などとにかく広いです!!
ゆっくり時間をとって散策してくださいね。
お水取りの写真↓
②JR「奈良」駅より徒歩35分
http://www.todaiji.or.jp/contents/guidance/guidance1.html