船戦が得意と云われる平家。
平重盛、平知盛、平教経に操船術を教えた斐忠次郎の屋敷跡が「殿坂神社」として祀られています。
この海のどこかで重盛、知盛、教経が船の技術を学んでいたのかと思うと、ワクワクしませんか?
※福山市のバス検索(Bus-Vision)
https://bus-vision.jp/fukuyama/view/searchStop.html
祠の右側に2つの額縁が置かれ、能登ん堂と殿坂神社の由緒が書かれています。
【平家伝説 殿坂神社】
能登原の下組の山すそに殿坂神社と呼ばれる社があり、地元の人々がお世話を続けている。
昔、能登原は三方を山に囲まれ、西に口無しの海が広がり、下組あたりまで海が入り天然の良港となっていた。いまから八百年前のこと、操船の名人と呼ばれていた斐中次郎(このみちちゅうじろう)はこの地に山城(加井城かいじょう)を築きあたりの海を支配していた。
彼のすぐれた操船技術は近国まで知られており「磯間(いそま)の三将」と呼ばれていた。
平家の将軍、平重盛(たいらのしげもり)や平智盛(たいらのとももり)能登守教経(のとのかみのりつね)はここで操船術を学んだという。
斐忠次郎(このみちちゅうじろう)は屋島の合戦に、敗れた平家一門と一諸に西海に逃れ主を失った斐屋敷(このみちやしき)は取り壊されるが、その後も「斐の殿様」と呼ばれて村人から尊敬され続け、かつての屋敷跡に殿坂神社を建て、一族を祀ったと伝えられている。
※上記の文章は由緒に書かれている漢字と同じ表記にしています。
調べる限り、「斐中次郎」と「斐忠次郎」は後者を多く見掛け、読み方は「このみちちゅうじろう」ではなく「このみちゅうじろう」ではないかと思われます。
また、「平智盛」は「平知盛」と記されることが多く、「磯間(いそま)の三将」とは平重盛、平知盛、平教経の3人のことのようです。
【能登ん堂】
能登原立河内の北側の山に「能登ん堂」と呼ばれる丘陵がある。
ここは源平合戦の時の平家の本陣跡とも・物見跡とも伝えられており、今にも古井戸や土塁が残っている。
昔、屋島を追われた平家の武将、能登守教経(のとのかみのりつね)らの一団はひうち灘(なだ)を渡り、鞆に陣を張った。しかし源氏にさらに追われ平家は能登原陣を構えた。
源氏は軍を二手に分け、一つを鞆に置き、もう一つを弓の名手・那須与一(なすのよいち)を大将にたてて田島、内浦(内海町)に陣を張った。
両軍はおおかがりを焚き、にらみあいを続けた。
ある夜のこと、見張りから教経(のりつね)のもとに「田島から白旗が押し寄せてくる」との知らせが入り、教経はまっ先に弓を取って馳せ、白旗めがけて矢を射たが、いっこうに手ごたえがない。
暗闇のなかをよく見ると、白旗と思ったのは、実はかがり火に驚いて飛び立った白さぎの一群であった。
陣に帰り着いた教経(のりつね)は「富士川の二の舞であった」と笑い、うち続く疲れからぐっすり眠ってしまった。
その夜のこと鞆に陣していた源氏の軍が、夜明けを待たずして能登原に攻め込んできた。
不意をつかれた平家は、田島に陣する源氏軍とのはさみ打ちにあい、ちりぢりになった。
ある者は腹を切り、ある者は深い山道をたどり、またある者は船で西海へ逃れたという。
この合戦は「能登原合戦」と呼ばれた。
※西へ徒歩約10分のところにある「能登原八幡神社」には能登原合戦の時に平教経が弓をかけた弓掛松があります。
詳細は不明ですが、重盛、知盛、教経の年齢差を考えると3人それぞれ異なる時期に学んだのではないかと思います。※個人的な意見なので確証はありません。
重盛……保延4年(1138年)生まれ
(14歳差)
知盛…仁平2年(1152年)生まれ
(8歳差)
教経…永暦元年ころ(1160年?)生まれ
坂を上ったところに殿坂神社の碑があり、更に階段を上がると祠が見えてきます。
西の方向にわずかに海が見えました。
多分、忠次郎さんの家に泊まり込みで学んでいたのでしょうね。詳細がわからない分、妄想 想像が膨らみます!
JR尾道駅から徒歩3分の桟橋。
鞆の浦まで船が出ていて(鞆の浦から尾道駅へも可能)約1時間、平家が学んでいたと思われる海の上を満喫できます。
※2016年4月現在の内容です。
予約制ですが、空いていれば当日でも乗船出来ました。
↓株式会社瀬戸内クルージングホームページ↓
https://s-cruise.jp/
乗った船はこれ!船内の座席に座るもよし、後ろのスペースに出て海風に吹かれながら景色も楽しめます♪
殿坂神社を訪れた日は降水確率90~100%の日でした^^;
でも平家の御加護があったのか、こんなに快晴!!!
船からは能登原合戦で教経の放った矢が刺さったところから竹が覆い茂ったと云われる「矢ノ島」が大きく見えました。
平安時代よりもっと後に建てられたものですが、瀬戸内海の景観として有名な阿伏兎観音も見えました。
船旅は悠久を感じます。
平安末期に平重盛、平知盛、平教経がどんなふうに操船技術を学んだのか気になりますね。