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平知盛塚<兵庫県佐用町>

公共交通機関では難しい

この地に落ち延び、藤原氏の娘と恋仲になった平知盛の息子・知忠。
知盛、知忠 父子を祀る五輪塔は佐用町の町文化財に指定されています。

★★毎年4月の慰霊祭の様子はこのページ下部★★
慰霊祭のレポート→https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/tomomoriduka/#ireisai

平成になってから

解説板より
■参考 平知忠について

知忠16才。1194年(建久5年)頃、鎌倉幕府打倒のため、平家旗揚げの従者3人と共に京を脱出し中国、四国を経て平家部落のあちこちを尋ね建久5年4月頃、大畑村にたどり着いた。
大畑村にたどり着いたから藤原氏の娘・貞子18才と恋仲になり子どもを宿す。

その頃都に騒動が起き、再び鎌倉幕府打倒を目的に京へ向かった。
数々の難所を逃れたが、途中、京都夜久野近在、追手に出会い、はかなくも3人の従者と共に斬られ命を絶ちこの世を去った。

知忠の妻・藤原氏の娘 貞子は出産しその子を精盛と名付け藤原氏の家系を継ぐことにした。

現在、大畑に残り鎮座している五輪の塔は平知盛、平知忠 父子の墓である。
この墓を建立したのは、知忠の子孫と村人の手によって行われたものである。

大畑で藤原という姓は明治初期までは使われていたが、その後は藤本と改姓されたらしい。
説明

由緒

※補足
平家都落ちの寿永2年(1183)7月、平知盛と正妻・治部卿局の子供で当時3歳の知忠は連れて行くことができず、紀伊次郎兵衛為教(為範)が匿い育てていました。

16歳になった建久7年(1196年)、源氏の世。
京の法性寺の一の橋にて勅命に背く者がいるという情報により、知忠は見つけ出され戦いましたが、重傷を負い自害しました。

紀伊次郎兵衛が知忠を抱きかかえ念仏を唱え自害し、2人の息子・兵衛太郎、次郎も討ち取られてしまいました。

紀伊次郎兵衛為教を知る者はいましたが、知忠を見知る者はなく母・治部卿局(知盛の正妻)が首実検に呼ばれました。
3歳の時に生き別れ、その後のことは知り得ませんでしたが、故中納言(知盛)の面影があると涙の対面となりました。

知忠が法性寺に現れた日にちは6月や7月、10月などの説があります。

平知盛塚について

県道449号沿いに見える「知盛塚」
集落の一角

道路側から

後ろに見える建物内に塚が建てられています。
昭和年と刻まれている

二基

上記、写真左下の碑は『壇ノ浦大海戦八百年記念』
記念碑

智盛塚の表記

どちらが知盛でどちらが知忠?
そして小さな四基の五輪塔は?
知盛と知忠

平家の家紋・蝶紋
揚羽蝶

解説板より
覆屋内に二基西面して並立するこの塔は、通称「とももりさん」「知盛塚」とも呼ばれ、当地方に伝わる落武者伝説、平家一族の知盛の供養塔(墓)との伝承が残る。

向かって左側の塔は花崗斑岩製で高さ90cm。
基礎の正面に阿弥陀坐像を彫る珍しい作例で、室町時代中頃の作とみられる。

向かって右側の塔は花崗斑岩製で高さ112cm。
各輪の四方には四門の種子を配する。
年代は左塔よりやや下り、室町時代中期から後期にかけての作とみられる。

この両塔は当町で数少ない同時代の石造品であり、また保存良好で、時代の特徴もよく示している貴重な文化財である。

佐用町

大畑五輪塔

塚の両側にはびっちりと説明書きが。
これは何と書いてあるのか読めません…
難しい

こちらは平家の歴史
■源平の戦いと大畑の由来No1
長文なので2枚に分けて載せます。
平家全盛期から

壇ノ浦合戦ころまで

■源平の戦いと大畑の由来No2
壇ノ浦合戦から落人伝説へ。
(抜粋)
藤原基通も平氏武者7人と共に千穂川支流を上り、真言宗である播磨の国 富満村 満勝院、常勝院の僧に匿われている。
(この両寺は行基菩薩が開山。その鎌倉幕府中期の頃、三十三坊が存在していた。常勝院は後に大畑村に移る)
(抜粋ここまで)

この藤原基通と7人がこの地を開拓したこと、五輪の塔が知盛、知忠 父子の者で建立したのは知忠の子孫であることが書かれています。
お寺のこと

昭和10年頃に小型自動車が通れるまでに拡幅された。
道路開通など

塚より上にも供養塔のようなものがありましたが関係性は不明です。
上方には十三重塔

小高い丘になっていて周辺を見渡せます。これは見下ろした知盛塚。
背面

慰霊祭

毎月4月に行われているという慰霊祭。
↓常勝院のホームページにどなたでも参加いただけますと書かれています。
http://jyoshoin.com/sayou.html

知盛塚に9時半頃に到着すると人々が集まっているのが見えました。
地元の方々

慰霊祭の日時については常勝院さんの電話番号が分からず、佐用町役場 商工観光課に問い合わせ10時〜10時半と返答がありましたが、実際は9時半頃から10時過ぎまで。
早めに着いたので9時半の開始直前、何とか最初から参列することができました。

お焼香もさせていただきました。
慰霊祭

導師様

参列者は地元の方々ばかり(約20名)のようで、謎の私達が参列しているのが不思議なのか、ここ大畑にゆかりある方ですか?と質問されました。
平家が好きと答えると納得されたようです。

以前は建屋がなかったこと、建屋の横の木が台風で倒れ、建屋を新しくしたことなども説明してくださいました。
切り株

以前お参りしたのは2015年1月。慰霊祭ではない日に来たことがあるのですが、その時にはなかった手すりや足元が舗装されているなど変化がありました。
手すり

↓2015年1月の知盛塚は手すりがない↓
上方には十三重塔

予定より早くに慰霊祭が終わったので導師様である常勝院さんの外観だけ拝見してきました。
真言宗

お会いした皆様、ありがとうございました!

知盛塚の最寄り駅はJR三日月駅。
電車を降りると山に三日月が🌙
山に注目

すごい

Googleマップでも確認できます

駅に併設されたトイレや自動販売機も設置されています。(飲料はなし)
特産品も

駅から知盛塚まで7km以上あるため、はりまタクシーさんに送迎をお願いしました。
上品で丁寧に対応してくださる運転者さんでとても良い旅になりました!!
https://harimataxi.jimdofree.com/

慰霊祭自体は良かったのですが、日時を問い合わせた商工観光課の対応がグダグダ。
返信がくるまで半月(途中、催促もしています)かかり、返信も「常勝院での慰霊祭」と場所が知盛塚なのか常勝院なのか混乱もしました。
時間については問い合わせた後に10時から9時半に変更になったのか、そこははっきりしませんが商工観光課の対応は不満だらけでした。

住所
兵庫県佐用郡佐用町大畑
交通
①車が便利だが駐車場はなし
②JR「三日月」駅からタクシー約15分
タクシー会社によっては定休日がある場合もあるため事前予約はオススメ

参拝について
自由
参拝目安時間
20分~
参拝日
2015/01/15
備考

最寄り駅の三日月駅。星の飾りつけがされていました☆
星

そして駅付近から見える山。
スゴイ!

こちらも注目。
マンホール

駅前の佐用町観光案内
駅前

しっかりと知盛塚が記載されています。
拡大

ひょうご環境体験館の西へ500mほどのところに道案内が。
ガードレール

この道案内は地図上の「三原 荒神社」がある交差点に設置されています。

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