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寺江亭跡<兵庫県尼崎市>

藤原邦綱の別邸があった寺江亭跡。
邦綱は平清盛の信頼が厚く、娘・藤原輔子は平重衡の正妻となった平家に関わりの深い人物です。

寺江亭跡
寺江亭跡
住所
兵庫県尼崎市今福2丁目
交通
①阪神電車「杭瀬」駅徒歩15分
②JR「尼崎」駅徒歩30分

探訪について
自由
探訪目安時間
15分~
お気に入り度
★★★☆☆
探訪日
2014/06/22
備考
寺江亭跡解説
寺江亭跡解説
解説板より
平安時代末、平氏政権の有力者の五条権大納言・藤原邦綱が築いた別邸が寺江亭です。
彼の娘が六条・高倉・安徳天皇三代の乳人でしたので、清盛の下で権勢をふるうことができたのです。

邦綱は、神崎川の河尻に別荘をもち(寺江にあったので寺江亭と呼ばれる)、多くの貴人らを招いていました。
寺江は尼崎より約2kmの地と記された当時の日記もあり、塩野義製薬株式会社の工場建設のときに、かなりの礎石が採取されましたので、当地が跡地と推定されています。

また、建物の創建は、治承3(1179)年から4年にかけてのものとみられています。
記録によると、川から直接邸内へ船に乗ったまま入ることができ、建物の豪華さは京都の屋敷にひけをとらないと記されています。

尼崎市教育委員会
天皇の乳母として

解説に書かれている「彼の娘が六条・高倉・安徳天皇三代の乳人でした」について。

藤原邦綱略系図
藤原邦綱略系図

後白河天皇からみて高倉天皇は子供、六条天皇と安徳天皇は孫にあたります。
六条天皇には藤原成子が、高倉天皇には藤原邦子が、安徳天皇には藤原輔子が乳母となりました。

乳母の一族は強大な力を持つことができました。
娘達が歴代の3天皇の乳母を勤め、寺江亭の豪華さからも相当な権力があったと推測されます。

平家との結びつき

藤原邦綱はそれだけでなく、平家とも強力な結びつきがありました。

冒頭で述べたように娘・藤原輔子は平重衡の正妻。
娘・藤原綱子は平徳子の乳母であり、息子・清邦は平清盛の養子となっています。

また、平清盛が治承5(1181)年閏2月4日に亡くなると、後を追うかのように同じ閏2月の23日に邦綱も亡くなります
清盛の熱病については色々説がありますが、邦綱に感染ったのではないかとも云われています。

寺江亭跡は碑のみですが、当時の重要な場所だったのは確実です。

寺江亭跡全景
寺江亭跡全景
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