福原京の鬼門にあたることから、平清盛が京の鞍馬寺に倣って福原京の守護としたと云われています。
その後、一ノ谷合戦の時に多田源氏に焼き払われたそうです…
住所
兵庫県神戸市北区有野町唐櫃3086-1
交通
神戸電鉄「神鉄六甲」駅すぐ
参拝について
自由
参拝目安時間
45分~
お気に入り度
★★★☆☆
参拝日
2016/12/10
備考
駅チカですが、本堂まで階段が続きます。
解説板より
平清盛が福原遷都のとき、この地が丑寅鬼門の方角(当時は南へ約2kmの古寺山)にあり、京の鞍馬山に擬して新都の守護として伽藍を建立したと伝えられています。平家はこの山寺を都の加護としてだけでなく、都北辺の防御拠点と考えていたようで、義経の別動隊多田源氏の一族が有馬郡に進出し、背後より福原を突こうとしたとき、多聞寺のみ平家に味方したので、兵火に焼かれ寺領も没収されたと謂われています。
平清盛が福原遷都のとき、この地が丑寅鬼門の方角(当時は南へ約2kmの古寺山)にあり、京の鞍馬山に擬して新都の守護として伽藍を建立したと伝えられています。平家はこの山寺を都の加護としてだけでなく、都北辺の防御拠点と考えていたようで、義経の別動隊多田源氏の一族が有馬郡に進出し、背後より福原を突こうとしたとき、多聞寺のみ平家に味方したので、兵火に焼かれ寺領も没収されたと謂われています。
解説中に「京の鞍馬山に擬して」とあるのは、鞍馬寺も京の鬼門の方角にある鎮護の寺ということから多聞寺もそれに倣ったのでしょう。
また上記の解説以外に、京の大原から人を移住させたと「源平と神戸ゆかりの50選 歴史と観光の散策(神戸新聞総合出版センター発行)」に記載されています。
本堂までの道のり
山門をくぐると仁王像が出迎えてくれます。
本堂までなが~い階段が続きます。運動靴がおススメですね。
本堂に到着!
参道~境内の様子。可愛らしい石仏たちのお出迎えも(^^)
境内には別の解説もありました。
解説板より
孝徳天皇の頃(645~654)、現在の地より南東の古寺山に創建されたといわれている。
平清盛の福原遷都の際(1177~1180)、古寺山が鬼門の方角にあたるので、新都の守護寺とされ大いに栄えたが、一ノ谷合戦後衰え、寛正3年(1462)に現在の地へ移された。
境内には、樹齢三百年以上のかやの大木があり、神戸市の名木に指定されている。
孝徳天皇の頃(645~654)、現在の地より南東の古寺山に創建されたといわれている。
平清盛の福原遷都の際(1177~1180)、古寺山が鬼門の方角にあたるので、新都の守護寺とされ大いに栄えたが、一ノ谷合戦後衰え、寛正3年(1462)に現在の地へ移された。
境内には、樹齢三百年以上のかやの大木があり、神戸市の名木に指定されている。
有野町自治連合会
2012年の大河ドラマ・平清盛の時に設置されたKOBE de 清盛2012の幟も健在です(*^^*)
源氏に焼かれたので、当時の多聞寺の様子を知ることはできませんが、再建後も平家ゆかりの寺として現在に至るのは嬉しいですね。
神鉄六甲駅すぐ!駅チカ史蹟はありがたいです。
また、神鉄六甲駅から2駅東の有馬口駅へ移動して源義経が戦勝祈願した下唐櫃 山王神社も探索してみてはいかがでしょうか。
↓下唐櫃 山王神社はこちら↓
https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/shimokarato-sannoujinjya/