俊成は歌人として有名で後白河法皇の命により邸宅を和歌所として千載和歌集を撰し、その中には平清盛の弟・平忠度の歌も一首選ばれました。
ここはその俊成の邸宅跡と云われています。
解説板より
ここは、藤原俊成の邸跡といわれ後世の人が俊成の霊を祭ったものという。
俊成は平安末鎌倉初期を代表する歌人・定家の父で、後白河法皇の命により『千載和歌集』を撰した。
ここは、藤原俊成の邸跡といわれ後世の人が俊成の霊を祭ったものという。
俊成は平安末鎌倉初期を代表する歌人・定家の父で、後白河法皇の命により『千載和歌集』を撰した。
謡曲 俊成忠度は、平忠度が歌道に執心のこと及びその最後の様を描いた修業物、即ち岡部六弥太忠澄は西海の合戦で忠度を討った時、その尻籠に収めてあった短冊を持って都に帰り、忠度の和歌の師であった俊成の邸を訪れ、その短冊を見せる。
その短冊に、旅宿の花という題
『行き暮れて 木の下陰を宿とせば 花や今宵の主ならまし
と書いてあった。
俊成はその文武両道に勝れたのを惜しみ厚く成仏を祈る。
京都市
烏丸通りのホテル一角に入り込むような形で存在しています。
(ネット情報によると以前は囲いがあり、独立していたようです)
少し切れていますが、下記写真右下が俊成社です。
この付近の住所は「俊成町:しゅんぜいちょう」なのもすごいですね。
住所
京都府京都市下京区俊成町
交通
京都市営地下鉄「四条」駅から南へ徒歩5分
参拝について
自由
参拝目安時間
10分~
お気に入り度
★★★☆☆
参拝日
2014/03/01
備考
–
【近くの史蹟】
烏丸通りを渡り、徒歩3分ほどで新玉津島神社へ。
ここは藤原俊成の邸宅で、敷地内に歌道の神「衣通郎姫」を和歌山県の玉津島神社から勧請したことに始まります。
平忠度が平家都落ちの時に自分の歌を残したいと、俊成に託しにやってきたことが説明板に書かれています。
下京区玉津島町 | 藤原俊成の邸宅敷地内に歌道の神を祀った 新玉津島神社 >> |
藤原俊成 平忠度 |
【忠度の歌碑】
俊成が千載和歌集に選んだ平忠度の歌は歌碑として、滋賀県内に私に知る限り3箇所建てられいます。
大津市 | 平忠度の歌碑が建つ 長等公園 >> |
平忠度 |
大津市三井寺町 | 長等公園の歌碑を模した碑 長等神社 >> |
平忠度 白河天皇 |
錦織2丁目 | 平忠度の歌に詠まれた大津京 大津京シンボル緑地 >> |
平忠度 |