平家滅亡後に、源頼朝から追われる身となった源義経。義経に常に寄り添った愛妾・静。
義経と引き離され捕らえられ、鎌倉に送られてから義経の子供を出産しますが男児だったため生きることは頼朝が許さず、由比ヶ浜に沈められました。
悲哀な静の終焉の地は各地に伝わっており、淡路島には「靜の里公園」として静の墓が伝わっています。
義経の墓があるのは静の想いを汲んでのことでしょう。
現地情報では静の供養祭が毎年11月7日午前9時から約1時間行われているそうです。(守衛さん?にお伺いした情報です)
参列してみたい!
静御前墓碑由緒
淡路国志筑の里に静女のおくつき(奥津城=墓のこと)あり。義経うし(うし=大人=尊称)のも並たとりこのうしのとならべしは其中によにむつまじかりしを思いやりての業なるべし
鳥羽院御宇(御宇=御代)此里は権中納言能保卿しらし(しらし=治めた)給ひしより東鑑にもより所ありて、此里は鎌倉のまうち君(まうち君=公卿のこと)にゆかりあり
其ゆかりより静はのりの道(のりの道=仏道)にいりて名を再性とかへ、こたきたりて世を終たとなんいひ伝ふなり
●光明院御う六郎太夫といひし里人の娘に彼霊かりて我はしつかといひしものぞ、とてそのかみふりの舞をかなで、はたあざやかになにはつをだにしらぬ身の筆とりて「訪ふ人もなくて静のつかのべに★怜(★はりっしんべんに可の漢字)をそふる松風の音」とよみて書たりしとぞ、後世にいたりてげにとふひとも稀になりゆかむは本意なき限りなりとて、見きくまをしるすものは浪速にもの学びする
世乎捨而操護志跡訪遍婆 松曽千歳能形見也家琉
(訳)よをすてて みさおまもりし あととへば まつぞちとせのかたみなりける
※読み間違っている箇所があれば失礼。
静の墓は池の中央にあり、橋で渡れるようになっています。
泳ぐ金塊だそうです。
餌をもらい慣れているのか、寄ってきます。
ぐるっと橋を渡ってこの先にお墓があります。
左手が静と義経の墓。
お花が供えられています。
手前の石仏。
墓の正面にある説明
冒頭に載せた墓の説明は木を背景に立てられいます。
文中の「一条中納言家」「権中納言能保」は一条能保で、義経の異母きょうだいを妻にしている人物です。
その子孫の方が植えた楠。
史料館は月曜日は休館。
出入口に鯉の餌が販売されていて、親子連れの家族が鯉に餌をまいたりして遊んでいました。
静と思われる人型もありました。
園内は無料ですので、近くを通った際はまた寄ってみたいと思います。
②神戸三宮バスターミナルから高速バス乗車約70分、津名港下車、西へ徒歩30分
※月曜日は史料館のみ休館