元久2年6月、二俣川の付近で北条時政や義時たちに騙し討ちにされた畠山重忠一族郎党134騎。
(武蔵国で畠山一族の勢力が強いため排除されたであろうとされています。)
終焉の地付近の薬王寺で毎年6月22日に慰霊祭が行われています。
薬王寺について以前にまとめたページはこちら↓
https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/mutsuduka/
六ツ塚
おおよそ乱世に学問道義は衰えるが畠山重忠公は智仁勇の三徳を兼ね備えた武将で今なお親み慕われている。
その時鎌倉北条時政から急ぎ鎌倉に出頭せよの命に接した公は菅谷の館(現・埼玉県比企郡)を6月19日発し、鶴ヶ峰にさしかかるや雲霞の如き数万騎は、ここ霊堂の前方帷子川を越えた彼方の台地(万騎が原)方面から突然攻め寄った。
公は策にかかったとは知ったが武士として決戦を覚悟した。
この時、公の重臣らは一度菅谷の館に引き返し軍を整えて鎌倉方を待たるるよう進言したが公は毅然として、しかすれば我に陰謀があったと無実が事実となり永久に汚名を着ると諭した上、牛の刻(正午)より数時間にわたる激戦のはて愛甲三郎季隆の矢に当り遂に一族郎党134騎とともに玉砕した。
時は元久2年6月22日(1205年。今より768年前)公は42才。この地に主従一同と六ヶ所に葬り代々伝えて六ッ塚と言う。
旭区役所
旭区観光協会
本堂内は階段の上、入れるのは観光協会の方や議員さんたちですが、本堂の周囲はベランダになっていて一般はそこから見学が可能です。
お焼香台も用意されていました。
受付が設けられていて、住所氏名を記載し、次第や記念品などが入った手提げをいただきました。
後で紹介しますが、観光協会の手拭い貴重!!
10時開始。
※写真は参列者の方が写りこむため個人的な記録としての撮影なら可能とのことでした。
ご導師様入場
読経+お焼香
10時25分頃 ご導師様退場
和讃
重忠節
御住職の法話
閉式のご挨拶
10時45分頃終了
僧侶の方は4名。薬王寺以外のお寺の方も来られているようです。
遠くからですが、中央に畠山重忠の位牌、その左側に妻・菊の前の少し小さな位牌がおかれていました。
重忠節は動画投稿サイトで検索すると多数見つかりますが、埼玉県深谷市(畠山重忠の生誕地)の公式動画のURLを貼っておきます。
https://youtu.be/o6jM8FPc88w?si=_1mmKVLaftBLniyW
法話は簡単にまとめると、自宅でも仏壇に手を合わせているとだんだん欲が出てきてしまうので、物ではなく心の潤いを大切をしましょうという内容でした。
はい、肝に銘じます。
受付のある薬王寺本堂周囲と道路を挟んで隣りの区画に塚が合計六つあることから、六ツ塚と呼ばれていて、この日は紫陽花が彩りを添えていました。
法要後に新しい塔婆が供えられました。
畠山重忠の塚は本堂階段の左側奥です。
2022年5月にお参りした時は塚は全て土が見える塚でしたが、昨年改装されたそうです。
★2022年
★2024年
気さくな住職さんでした。個人的には頭上の蜂の巣が気になっていて、蜂がいない+この大きさになるのは8〜9月ころなので空家なのは分かっていましたが住職さんに質問!!
5年以上前のものだそうですが、縁起物なのでそのままにしてあるそうです。
もっとお寺のことや畠山重忠のこと質問しろって感じですよね。すみません。
受付でいただいた手拭い、開けてびっくりでした!!素敵。
皆さま、ありがとうございました。
また、重忠の妻・菊の前を埋葬したとされる駕籠塚:かごづか:は東へ徒歩7分ほど。
夫が討たれたことを知らされ自害し、駕籠ごと埋められたことに由来するそうです。
他にもゆかりの地が多数あり、旭区のホームページから地図をダウンロードできます!!
横浜市旭区ホームページ:https://www.city.yokohama.lg.jp/asahi/shokai/rekishi/shigetada.html