2017年7月23日(日)11時~京都府木津川市の安福寺にて平重衡卿の833回忌が執り行われました。
安福寺では旧暦での法要。しかし、旧暦だと毎年日にちが変わってしまうため、分かりやすいように7月23日に法要をされていると以前伺いました。
2017年は日曜日。
遠方からも参加されている方もいらっしゃいました。
早くに着いたため色々とお話をうかがい、お茶も頂きました。
肖像画を拝見しながら頂くお茶は格別です。
木津川市の特別公開を除けば、この肖像画を拝めるのは命日法要の時だけです。
■ご住職のお話しの概略
父・清盛の命で南都の僧兵を静めるために出陣した平重衡軍。
誰が放った火か分かりませんが、「重衡軍が来たことで、大仏まで焼け落ちた」と大将の重衡が南都の僧から恨まれることに。
言い訳もせず、処刑された重衡。首は般若寺に釘付けにされ、晒されたと伝わっています。
享年29歳、幸せといえる人生ではなかったかもしれません。
でも、お供えを届けて下さったり、この日に集まって下さる方がいらっしゃるのは素晴らしいことだとおもいます。
と。
これは私の推測ですが、一ノ谷合戦後に多くの平家一門の首が都を引き渡しされたから、重衡卿も処刑後は首が晒されることも覚悟していたのではないかと思いました。
重衡卿に受戒をした、法然上人像にも手を合わせてきました。
お焼香の作法についてのお話しもありました。
立ち昇る煙で清め、香りを届ける意味があるそうです。
右手でつまんで左手は軽く添えて、高く上げずに仏様に差し出すような気持ちが良いとのこと。
回数は気にせず、気持ちが大事だということです。
法要後は重衡ファンのオフ会(*´꒳`*)
皆、重衡卿について語る語る!!
それぞれの視点の重衡卿。愛されていますね♪
法要のお陰で人との繋がりが増えました。
安福寺さん、今年もありがとうございました。
下記は法要後に撮らせていただいた写真。
法要中は写真は撮りませんでしたが、カメラも近くに連れてきて一緒に参列しています。
カメラにも同じ空気を感じさせることが大切だと私は思っています。
命日法要が行われた哀堂(あわんどう)。
当時の村人が重衡卿を哀れんだことに由来するそうです。
哀堂は通常は閉まっているため、命日法要以外の日にお参りされる場合は境内の十三重塔へ。
寺伝では胴が埋められたそうです。
木津駅の木津エリアの地図にも安福寺(平重衡供養塔)が掲載されています。
残念なことに付近で物騒な事件も起きているそうですが、大切に守り受け継がれますように。