不思議な場所にある妹尾兼康(せのおかねやす・瀬尾兼康とも)の館跡。
兼康は平家に仕えた武士の1人で、岡山県の妹尾出身と云われています。
親切な地元の方の助言がなければ、別の物を館跡だと思って帰るところでした(^^;
探訪される方は参考にどうぞ!
②JR妹尾駅徒歩35分
平家の武将。十二ヶ郷用水の基を開いたことで人々に広く知れ渡っている。
妹尾庄の人といわれ、妹尾庄を領していた。
源氏の木曽義仲の軍と備中板倉で戦い、寿永2(1183)年敗死した。
この地は、兼康の居宅のあった所といわれている。
居宅の西側は、馬場下と呼ばれ、当時、馬の訓練が行われた場所である。
岡山市福田地区地域活性化事業実行委員会
解説板の後ろに石碑のようなものがあり、てっきりこれが兼康の館跡だと思い写真を撮っていました(^^;
解説板にこんなに近いと紛らわしくないのかな……
そこに偶然通りかかった地元の方が、「兼康の館跡はそこの坂を上がったところにある祠のような建物の中にありますよ」と親切に教えて下さいました。
また、「扉を開けて入っていいですよ。一本道なので、迷うこともないです」と。
聞くところによると私が写真におさめていたのは道祖神のようなものだそうです。
ちなみに解説板には貝塚のことも書かれていましたが、どこにあるのか…??
教えていただいた通り細い道を進むと一段高い所に黒い柵が見えました。これを目指します。
私有地っぽい気もしましたが地元の方が入っていいとおっしゃっていたので、遠慮なく兼康の館跡を探せました。
祠のようなものは……この建物しかありませんが、兼康の館とは全く書かれていなくて少し不安もありましたが扉を開けて中へ!!
岡山市ホームページ「歴史と文化のまち 妹尾・箕島」PDF↓で紹介されていたものと同じ!!
http://www.city.okayama.jp/contents/000305855.pdf
あの時、地元の方の教えがなければ見ずに帰っていたところでした。ありがとうございました<(_ _)>
建物の脇に謎の祠のようなものがありました。これは一体…??
妹尾駅から徒歩で北上しながら盛隆寺の「妹尾太郎兼康頌徳碑」→妹尾兼康が築いた「洲浜城址」→「伝 妹尾太郎兼康館跡」と兼康を巡りながら歩くのがおすすめです。
兼康館跡は妹尾西交差点の北北東に位置します。交通量が多く、車を避けるため住宅街の道路に入り西髙尾集会所を目指しました。
この角を曲がれば数メートルの所に伝 妹尾太郎兼康館跡と高尾貝塚の案内板があります。
途中、妹尾交番などがありこの周辺は妹尾の地名が多数に使われている場所です♪