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関大明神社(関戸院)<大阪府三島郡>

平家一門が立ち寄った

倶利伽羅峠合戦で木曽義仲軍に、平家軍が大敗したことで義仲たちが都へ。
都落ちを決めた平家一門が立ち寄り安徳天皇の乗る輿を据え、平清盛の義理の弟・平時忠が都に戻れることを石清水八幡宮のある男山を見ながら拝んだ場所とされています。

全体

住所
大阪府三島郡島本町山崎1丁目
交通
①阪急電車「大山崎」駅から徒歩5分
②JR「山崎駅」から徒歩3分

参拝について
自由
参拝目安時間
15分~
お気に入り度
★★★☆☆
参拝日
2016/12/4
備考
碑より
島本水の文化園 関大明神社

当社のはじめりは不明ですが、当地が古代摂津国と山背国:やましろのくに:(後の山城国:やましろのくに:)の関所である山崎の関の跡といわれ、関守神:せきもりのかみ:または辻神:つじがみ:を祀ったのが起こりではないかと思われます。

この関所は当時、交通の要であり、時には朝廷が兵を派遣し、守らせるほど重要なところでした。しかし、平安時代のはじめのころには関は廃止されていたらしく、その跡地には関戸院:せきどいん:という施設が置かれ藤原道長や平家一門など貴族や官人の宿泊に利用されていたようです。

現在の本殿は室町時代中ごろに建てられたと思われ、大阪府の重要文化財に指定されています。
祭神は大巳貴命:おおなむちのみこと:・天児古屋根命:あめのこやねのみこと:又は大智明神:だいちみょうじん:。

説明

上記の解説とは別にかなり読みづらくなった由緒もあり、「平家一門」の文字ははっきり読み取れます。

平家一門とはっきり読み取れる

かなり薄くなっている

この時、経盛や教盛は都落ちの気持ちを歌にし、また、忠度は都を離れる前に歌の師である藤原俊成に歌を託しています。
その中から詠み人しらずとして千載和歌集に掲載されている歌も。

住所は大阪府ですが、京都との府県境で「従是東山城國」の碑が建てられています。
山城国

駅から近い

西国街道の案内もありました。
静かなこの場所で歴史を感じながら平家都落ちの哀愁に浸ることの出来る場所の一つかと思います。
西国街道の地図

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