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三條東殿遺址<京都府京都市>

※このページの写真は2022年4月2日撮影

平治元年(1159)12月9日。
平治の乱の始まりとなった場所が三條東殿。
址

後白河上皇には信西(藤原通憲)と藤原信頼という側近がいました。
信西は非常に優秀で独学で宋の言葉を覚えたり、大内裏の再建などを瞬く間に遂行する凄腕でした。

対して何の才能もない藤原信頼にとっては信西が疎ましく、また、源義朝は信西の息子を娘婿にと申し入れたが断られたことなど、色々なことがあり、藤原信頼と源義朝は結託。

そしてこの時期、自分の手で政治を取り仕切きりたい二条天皇と、院政を敷きたい後白河上皇との間でも対立があり、二条天皇派の藤原経宗や藤原惟方を「反・信西派」として、仲間に引き込んだ藤原信頼と義朝らが、後白河上皇の御所である三條東殿に攻め入り、平治の乱が勃発しました。

惨劇の場となった三條東殿は当時は後白河上皇の御所で、上皇は連れ出され一本御書所に幽閉されました。

三條東殿にいた人々は斬られたり、炎から逃れるために井戸に飛び込んだり。先に飛び込んだ者は溺れ、中間辺りでは押し潰され、井戸の上部にいた者は炎から逃れられず…という地獄絵図となってしまいました。

現在はビルが並ぶ通り。
ここでそんな惨状になっていたと思う人は少ないのではないでしょうか。
縦

解説板より
ビルの前

春には花が咲いているのにホッとします。
花

当時を偲ぶものは残っていませんが、ここを通る時はやはり平治の乱が頭をよぎります。
全体

住所
京都府京都市中京区場之町
交通
京都市営地下鉄「烏丸御池」駅から徒歩3分

探訪について
自由
探訪目安時間
10分~
探訪日
2022/04/02他多数
備考
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