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逆櫓の松跡<大阪府大阪市>

逆櫓の碑と菓子

屋島合戦に向かう源義経が、梶原景時から提案された船に『逆櫓(さかろ)』をつけるかどうかで口論になった場所。
隣接する喫茶店では逆櫓の松跡に因んだお菓子が販売されています。
商標登録

住所
大阪府大阪市福島区福島2丁目2-4
交通
①JR東西線「新福島」駅より徒歩4分
②JR環状線もしくは阪神「福島」駅より徒歩6分

探訪について
自由
探訪目安時間
10分~
お気に入り度
★★★☆☆
探訪日
2008/10/30、2018/12/27
備考
解説板より
『平家物語』の逆櫓の段によれば、1185年2月、源義経は、平氏を討つため京都を出発し、摂津国の渡辺、福島から、四国の八島(屋島)を船で急襲しようとした。

義経軍は、船での戦いはあまり経験がなかったので、皆で評議していると、参謀役の梶原景時が「船を前後どちらの方角にも容易に動かせるように、船尾の櫓 (オール)だけでなく船首に櫓(逆櫓)をつけたらどうでしょう」と提案した。

しかし義経は「はじめから退却のことを考えていたのでは何もよいことがない。船尾の櫓だけで戦おう」と述べた。
結局逆櫓をつけることをせず、夜に入って義経は出陣しようとした。折からの強風を恐れてか、梶原景時に気兼ねしてか、それに従ったのは二百数艘のうちわずか五艘であったが、義経は勝利をおさめた。

その論争を行った場所が、一説によればこのあたりといわれている。
この地には、江戸時代の地誌『摂津名所図会』によれば、幹の形が蛇のような、樹齢千歳を 越える松が生えていたという。この松を逆櫓の松と呼んだ。
逆櫓の松は、近代に入るころには、既に枯れてしまっていたらしい。

大阪市教育委員会

大阪市顕彰史跡第二二八号

かなり激しい口論に

逆櫓乃松址

屋島合戦前に…
寿永4年(1185)2月16日、屋島にいる平家を討つため渡辺、福島から船で渡ろうとする源氏内で論争が勃発。

船を前後どちらにも動かせるように、逆櫓をたてたいと言う景時に「戦う前から逃げることを考えてはいない。景時達の船には百挺でも千挺でもたてればいい!!」と言い放つ義経。景時は「良い大将軍は攻める時は攻め、退く時は退く。退くことをしらないのは猪武者だ!!」とかなり険悪な雰囲気になる場面が平家物語に登場します。

最終的に景時は200艘余で屋島に到着しましたが、この200艘余全てに逆櫓をたてるのはどのくらい時間がかかるものか、平家物語には書かれていないので謎ですが、この時の義経の行動はとにかく猛スピード!!

暴風雨の中5艘で出航し、3日ほどかかる航路を約6時間ほどで渡ったことになっています。
船漕たちは最初、この暴風雨では…と断りますが、義経は船を出さないなら殺すと脅して出航しました。
義経の気性が荒さが表れていますね。

阿波(徳島県)の勝浦に到着、北上して讃岐(香川)の屋島を目指し、勝利。
この間、義経軍はほぼ無休で屋島へ向かっています。
恐るべし体力…

景時が到着したのは合戦が全て終わった2月22日ころ。
さらに義経と景時は溝が深まったようです。

当時の松は枯死してしまったそうですが、若い松がまっすぐ伸び、碑があることで歴史が語り継がれています。
背の高い松

あんまき菓子 逆櫓

逆櫓の松のすぐ東側、喫茶ウィンブルドンで食べることができる商標登録されたその名も「逆櫓」は松をイメージしたロールケーキ。
抹茶の味は濃厚、甘さは控えめであっさりしていて美味しかったです(^^)

480円、ドリンクセットは780円(税込み)
※2018年12月現在
全体

粒あんを巻いて生クリーム添え

フォーク、ナイフに添えられた説明の紙は持って帰って良いとのことで記念にいただきました♪
お菓子の説明

持ち帰り用も販売されています。
予約が必要なものも

お店の方のお話では松のことはあまり気にしたことがなかったが、大河ドラマ『義経』で松が取材撮影されている時に謂れ知り、お客さんに逆櫓にちなんだお菓子を作ってはどうか?と言われたのがきっかけとのことでした。

碑はいつでも見ることができますが、お店は定休日がありますのでご確認の上、史蹟巡りの途中で一息ついてくださいね(*^^*)緑の屋根が目印です。
https://tabelog.com/osaka/A2701/A270108/27037566/

逆櫓の松跡

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