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西光寺<京都府亀岡市>

後白河に仕えていた西光

鹿ヶ谷事件の首謀者の一人・西光(さいこう)。
京都府亀岡市に西光を祀る寺があります。

住所
京都府亀岡市安町31
交通
JR亀岡駅より徒歩12分

参拝について
参拝不可。電話問い合わせをしたところ、一般公開はしていないとのこと。
外観の参拝目安時間
10分~
お気に入り度
★★☆☆☆
探訪日
2017/04/04
備考

鹿ヶ谷事件が発覚した直後に西光は平家に捕らえられ、連れて行かれた西八条邸で平清盛を直接罵り、拷問にかけられた末、口を割かれて無残な最期を迎えました。
ここまでは平家物語覚一本に描かれていますが、これには続きがありました。
西光寺の門前にある解説では鹿ヶ谷事件に関わった、後白河法皇の命により西光を埋葬したことから「西光寺」となったそうです。

解説板より
山号 安行寺
宗派 浄土宗

天平勝宝元年(749)、東大寺建立や社会福祉事業等に活躍した行基が、阿弥法師とともに勧進され、現在地の西、蓍山<しばやま>(安行山)のふもとに庵を建立され、行基院と称したのに始まります。
その後、治承元年(1177)に藤原成親や僧・俊寛等、後白河院の近臣が平家討伐を謀議した事件として知られる鹿ヶ谷事件に関わり死罪となった藤原師光入道西光法師の遺骨を、後白河院の命により同庵に埋葬し、西光寺として一宇が建立され、開山を西光法師としました。
さらに、慶長年間(1596~1615)には、学同和尚により現在地に遷されましたが、元和年間(1615~1624)に火災に遭い、寛永年間(1624~1644)に当山二十九世の恵譽圓霊上人<けいよえんれいしょうにん>により再建されました。
しかし、その後も幾星霜を経る中で荒廃していましたが、江戸時代中期になって、鏡譽恢源和尚<きょうよかいげんおしょう>が寺門興隆に尽力されたことから、中興上人としています。
また、境内の地蔵堂に祀られている地蔵菩薩は、恵心僧都が感得して自ら彫刻されたもので、元京都の誓願寺に祀られていましたが、元禄7年(1694)5月23日の夜、誓願寺の僧、超然上人と当山の鏡譽上人<きょうよしょうにん>の2人の霊夢に従って、当山に招来されたもので、氷上地蔵尊と呼ばれています。

■ひとくちコラム
西光法師は、阿波国の在庁官人の子と言われ、藤原通憲<ふじわらみちのり>入道信西の家人となり、この推挙により左衛門尉に任ぜられた平安時代後期の廷臣です。
平氏全盛のもととなった平治の乱(1159)では、信西に従い京を逃れて出家し、西光と称しました。
その後、後白河院に仕え、近習の伝奏として活躍しましたが、治承元年(1177)の鹿ヶ谷事件では、藤原成親や僧・俊寛等と平氏討伐をめぐらしましたが、多田行綱の密告により発覚し、死罪となりました。
このことは「平家物語」に詳しく記されています。一度読んでみてください。

由緒と藤原師光について

残念ながら参拝は不可

解説板の最後に「当寺院は一般公開しておりません。参拝ご希望の方はあらかじめお申し出ください。」とあったので予約すれば拝観可能かと思い、電話問い合わせをしたところ申し出があっても公開はしておらず、あの文言は観光協会が作成されたものだとうかがいました^^;

どのように西光が供養されているのか謎ですが、ここも鹿ヶ谷事件ゆかりの地として記しておきます。
外から見える境内の風景↓
亀岡市にある西光寺

西光寺境内

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