奈良県南部に広がる吉野山。
中腹に平忠盛が寄進した名鐘・三郎鐘が残されています。
住所
奈良県吉野郡吉野町吉野山
交通
近鉄「吉野」駅からロープウェイ「吉野山」より徒歩60分
拡大地図では「34.355355, 135.872257」
拝観について
自由参拝
拝観目安時間
20分~
お気に入り度
★★★☆☆
拝観日
2008/11/05
備考
–
解説板より
【世尊寺跡・三郎鐘(重文)】
いまは標柱一つが、その昔ここに寺があった所だと伝えているにすぎませんが、この上の広場が世尊寺の跡です。
明治8(1875)年廃仏の難に遭って廃寺となり、本尊とつり鐘、それに石灯籠だけが残りました。
本尊の木造釈迦如来立像(鎌倉期)は蔵王堂に安置されており、また石灯籠は水分神社(みくまりじんじゃ)前に残されています。
【世尊寺跡・三郎鐘(重文)】
いまは標柱一つが、その昔ここに寺があった所だと伝えているにすぎませんが、この上の広場が世尊寺の跡です。
明治8(1875)年廃仏の難に遭って廃寺となり、本尊とつり鐘、それに石灯籠だけが残りました。
本尊の木造釈迦如来立像(鎌倉期)は蔵王堂に安置されており、また石灯籠は水分神社(みくまりじんじゃ)前に残されています。
上の丘に残るつり鐘は俗に吉野三郎と称される名鐘で、初めてこの鐘が造られたのは保延6(1140)年で、平忠盛が鵜飼千斤を施入した旨の銘があり、忠盛が平家全盛時代を築いた清盛の父であるだけに当時のあつい信仰の様子がしのばれます。
その後このつり鐘は永暦元(1160)年、寛永3(1245)年にも改鋳されているので、現在のものは今からほぼ740年前のものということになります。
【人丸塚】
この上の丘の真中に、人丸塚と呼ばれている仏像石が、ポツンと置き去りにされたようにうずくまっています。これは昔建立された五輪塔かなにかの一部だろうと考えられますが、今となっては正体不明というほかはなく、四面のそれぞれに線刻された仏像は、ほとんど風化しながらも藤原期の作風を示し、吉野山には珍しい石仏といえます。
人丸塚といいならわされているものの、その由来も定かでなく、この石に願を掛けると子供に恵まれるので、「人生まる塚」だともいい、また火を防ぐ呪力を秘めているので「火止まる塚」などとも伝えています。
吉野町
三郎鐘
解説板からは1140年にこの鐘が作られたとあります。忠盛45歳、清盛23歳、重盛3歳の頃です。
どのような経緯で寄進されたのか、廃寺となった今は詳細不明なのが残念ですが、残っているのは嬉しい限りです。
人丸塚
解説板通り、正体不明……
吉野山
吉野山は頼朝から追われる身となった義経が雪の中、静と別れた場所で義経や弁慶ゆかりの史蹟が多数あります。
吉野山のロープウェイは日本一古く、桜の名所となっています。4月には多くの観光客で賑わいますが、紅葉の時期も美しいです。