①蟹江山常楽寺 龍照院
②冨吉建速神社・八劔社
愛知県蟹江町のホームページによると、どちらも木曽義仲が再興したとされています。
また、龍照院には義仲の菩提を弔うために巴御前が木造大日如来坐像を安置しました。
※龍照院、冨吉建速神社、八剱社は全て隣接
②近鉄「蟹江」駅より徒歩35分
冨吉建速神社・八剱社 → https://www.town.kanie.aichi.jp/soshiki/18/tomiyoshitakehayajinjya.html
龍照院 → http://www.kaninavi.jp/html/visit/ryusyouin/
門前にそびえたつ「木曽義仲 巴御前 旧蹟」の石柱。
寿永3年1月20日、源範頼・義経軍と木曽義仲軍が戦い、粟津で討取られた木曽義仲を弔うために巴御前が大日如来坐像を安置しました。
粟津は滋賀県。そこで討取られたのになぜ愛知県に?
この疑問については蟹江町のホームページ(http://www.kaninavi.jp/html/visit/ryusyouin/)に記載されています。
それによると木曽義仲に落ち延びるように促された巴御前は、故郷の信濃に向かう途中義仲が建てた(再興)寺があることを知り、出家し義仲を弔ったそうです。
『木曽義仲朝臣菩提ノタメ 巴御前寄進ノ尊像』
小窓から大日如来が拝めます。ぜひお参りを(^^♪
冨吉建速神社(とみよしたけはやじんじゃ)・八劔社(はちけんしゃ)を併せて「須成神社」社と呼ばれているそうです。
由緒が反射してしまいましたが、『寿永元年春 木曽義仲西国の途次 両本殿を再興す』とあります。
地名のいわれ(須成)
現地名 愛知県海部郡蟹江町大字須成
旧地名 尾張国海東郡須成村(江戸時代)
須成の地名のおこりについては定かではないが、河川が運んだ砂が積もり、できあがった洲(沙)から、洲成、沙成、砂成となり、現在の「須成」となったといわれている。
鎌倉時代より富吉荘に編入されていたようである。
村内の冨吉建速神社・八剱社及び龍照院は、奈良時代に行基菩薩により建立されたと伝承され、平安時代末期には木曽義仲に縁がのあった社寺として有名であったが、天正12年の蟹江城をめぐる戦いでの兵火により大半を消失、その後再興された。
須成村は、江戸時代後期(1800年代)には定期市である六斎市も開かれ、門前町として繁栄した村であった。
例年8月(かつては6月)に行われる須成祭は、約400年という古くからの伝統と由緒を持つ祭りで、『尾張名所図会付録』には江戸時代の祭りの様子が描かれている。
(後略)
この蟹江町には「源氏塚公園」も。
約25年前、木曽義仲の伯父で、義仲が最後に戦った源範頼・義経の父が落ち延びる途中に通った付近。
不思議な因縁ですね。
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