大篠原宗盛公胴塚保存会さん主催の『六条河原参拝ツアー』2018年11月24日(日)に参加させていただきました。
①京都府京都市の蓮光寺参拝
②六条河原で献花
以上の工程です。
ここは平清盛ゆかりの「駒止地蔵」がありますが、拝観は要申込みとのこと。
御住職が縁起や御本尊の「負分如来(おいわけにょらい)」のこと、駒止地蔵、長曾我部盛親墓などをお話しくださいました。
安阿弥は約120日かけて完成させたもののあまりの出来栄えに、護持したいと思うようになり受取りにきた覚明に、この尊像は霊夢によるもので完成し難いため、翌春まで待つように嘘をつきました。
翌年再度やってきた覚明に今度こそ引き渡したましたがもう一度拝みたいと覚明の後を追い、逢坂山関付近で追いつきことの次第を話して謝罪しました。
覚明も感銘し唐櫃を開けようとしたところ、光がさし、紫雲たなびき驚いて見てみると尊像が二体に分身していました。
それぞれ一体ずつ持ち帰り祀っているうちの一体が蓮光寺の負分如来です。
もう一帯は宮城県仙台市にあるということで調べてみると仙台市のホームページに「笈分如来(おいわけにょらい)」の写真と同じ由来が書かれていました。
http://www.sendai-c.ed.jp/~bunkazai/shiteidb/c02696.html
尊像が分身した付近の地名は追いかけて分けた「追分」の地名が残り、京阪電車には「追分駅」があり、私も通ったことがありましたが今回の参拝で地名の由来を知ることができました。
また御住職は、御本尊が文化財に指定されると信仰の対象から鑑賞(観賞?)の対象となってしまうのではないかと懸念されていました。
境内の駒止地蔵へ。この案内が目印です。
保元3(1158)年、六条河原で平清盛の馬が急に動かなくなり、何かあると思い掘ってみると出てきたのがこの駒止め地蔵と云われています。駒とは馬のことです。
処刑場だった六条河原にこの地蔵が祀られていましたが鴨川の氾濫で埋もれました。
処刑された人々を見守ってきた地蔵で、壇ノ浦合戦後さらされた宗盛の首級もきっと見守ったであろうということでした。
写真では大きさが伝わりにくいのですが、高さ八尺の石造り地蔵尊で実物を見ると「大きい!」ってきっとなります(^-^)
左右の絵馬と比較すると大きさが伝わりますでしょうか?
横からだと台座も含めて見ることが出来ました。
隣には歯止観世音。
拝観は申込みが必要ということで今まで参拝したことがなく、今回は良い機会になりました。
御住職、ありがとうございました。
駒止地蔵が祀られていたと伝わる六条河原で花と宗盛胴塚の土をお供えしました。
宗盛胴塚の土を持参されました。
本日出会えた皆さん、大篠原宗盛公胴塚保存会の皆さん、たくさんのお気遣い本当に本当にありがとうございました。
いただいた野洲市の富有柿と篠原もち、美味しかったです(*^^*)
篠原もちの詳細、購入については「野洲市観光ナビ!」のホームページにて↓
http://www.yasu-kankou.com/event/2017/03/319.html
蓬、ブルーベリー、プレーンの3味。ブルーベリーには粒が入っているのがお気に入りです。
また宗盛胴塚にうかがいますね。
ぶらり街道勝手連さんのFacebookページで様々な活動がアップされています↓
当日の写真は→こちら←