※このページの写真は2023年10月22日撮影
下記の解説には源平合戦とのみ書かれていますが、この地を通ったのは俱利伽羅峠や志保山(志雄山)など広範囲で平維盛率いる平家軍と戦い、京を目指した寿永2(1183)年5月です。
解説板より
源平合戦に勝利した源氏軍は上洛の折、この地から山手に入ったあたり、現在の三輪神社(北中条:きたちゅうじょう:)裏の山中でしばらく休憩をとったと伝えられています。
源平合戦に勝利した源氏軍は上洛の折、この地から山手に入ったあたり、現在の三輪神社(北中条:きたちゅうじょう:)裏の山中でしばらく休憩をとったと伝えられています。
近くには喉を潤すのに絶好の滝があり、また眼科の村々や河北潟の眺めは格別で、戦いの後の良き休息場所となったそうです。
宝永元年(1704)の「石川河北能美郡由来帳」には「北中条は持山の内おふじょうと申す山ござそうろう木曽義仲上洛の砌:みぎり:暫く居住のよし申しそうろう」と書かれています。
津幡町
なかなか鬱蒼とした場所のようなので山へは入らず説明の写真を拡大しておきます。
写真左が三輪神社がある方向で、この山の中のどこかに滝があるのでしょう。山を臨む地に説明があることに感謝です。
住所
石川県河北郡津幡町(津幡駅の東側)
交通
JR及びIRいしかわ鉄道「津幡」駅から徒歩15分
※駅の東側へは北または南側から廻らないと辿り着けない
※駅の東側へは北または南側から廻らないと辿り着けない
探訪について
自由
探訪目安時間
10分~
お気に入り度
★★★☆☆
探訪日
2023/10/22
備考
–