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園城寺(三井寺)<滋賀県大津市>

何回も焼失した歴史がある

創建以来、何度も焼失しながらも現代でも広大な境内を誇る園城寺。
その内の1度は平家物語4巻に描かれる治承4年(1180)の「三井寺炎上」です。
(日付は史料により様々ですが吾妻鏡、玉葉では12月11日、その他には11月説なども)

同じ年の2月に安徳天皇が践祚したことにより皇位継承の望みが絶望的になった以仁王に源頼政が挙兵を勧め、以仁王が全国の源氏に平家追討の令旨を出しました。
そして5月、以仁王と源頼政軍が平知盛軍と戦いになり、その時に以仁王を匿ったのが園城寺です。

それを理由に約半年後、平清盛の五男・平重衡軍が園城寺に攻め入り、戦が長引いたため夜になり火を放ったとされています。
被害の程度も史料により異なります。

また園城寺は弁慶が修行していた比叡山延暦寺の末寺で、弁慶が奪っていった鐘などのゆかりの品々の拝観可能です。

園城寺公式サイト歴史散歩ページに詳しく書かれています↓
http://www.shiga-miidera.or.jp/about/walk/110.htm

かなり広大です!重衡軍が攻めた時、どれぐらいが焼けてしまったのでしょうね…
昔から広い

総門から南方向に進むと階段がみえてきます。
総門

浄妙坊(筒井の浄妙明秀)坊跡

左側のお地蔵様?が筒井の浄妙明秀:つついのじょうみょうめいしゅう:の住坊跡で、以仁王と源頼政が挙兵した橋合戦(宇治川)の時に活躍した園城寺の僧です。
春には桜がきれい

橋合戦で活躍

お地蔵様?

春、この階段は桜に彩られます。
4月

階段を上ると観音堂など。
お参り

指定有形文化財

更に上に続く階段を上がると見晴らしの良い場所に。左の建物が観音堂。
境内

びわ湖も。
みずうみ

弁慶ゆかりの品

園城寺は平安末期、比叡山延暦寺の末寺でたびたび延暦寺と争いとなっていました。
そして延暦寺で修業していた弁慶が園城寺の鐘を奪って延暦寺まで引き摺りあげたと云われる「弁慶の引摺り鐘」などが展示されています。

まずは境内の茶店で弁慶力餅。
園城寺とは不仲の延暦寺で修業していた弁慶にちなむ餅とは…
茶店

きな粉たっぷり!
弁慶力餅

次に弁慶の引摺り鐘汁鍋の展示へ。
この先

順路

参詣

■辨慶(弁慶)の引摺鐘

奈良時代前期の鋳造でむかし俵藤太秀郷が百足退治のお礼に龍神より貰い当寺に寄進されたと伝えられる有名な鐘である。

辨慶が引摺った疵痕が残っている

■辨慶(弁慶)の汁鍋
むかし武蔵坊辨慶はじめ多くの僧兵が汁を造って飲んだと伝えられる汁鍋である。

イラスト

幟

拝観

有名な鐘

鐘について、詳しくは園城寺公式ホームページの伝説ページに記載されています↓
http://www.shiga-miidera.or.jp/about/legend01.htm
弁慶

かなり巨大

かなり巨大な汁鍋
由来

ぜひ現地でその大きさを体感してください!

以仁王が避難

治承4年(1180年)4月。源頼政が以仁王に持ちかけた平家打倒の令旨が全国の源氏へ伝えられつつある途中に、それを知った熊野別当・湛増が飛脚で都へ知らせました。
そして福原にいた平清盛に宗盛が伝え、激怒した清盛は以仁王を土佐に流せと命じます。

平家打倒を掲げたことが平家に漏れたと源頼政の使者が以仁王に知らせに来ました。そして園城寺へ逃れるようにー
それが5月15日の深夜でした。以仁王は女房装束を身に纏い、夜通し山路を進み脚から血を流しながらも夜明け方に園城寺へたどり着き迎え入れられました。平家物語によると園城寺では論議した結果、比叡山延暦寺は天台宗を学ぶ場で二派に分かれたものの学びは同じ、奈良の興福寺は夏の修業と戒場であり味方しないことがないと考え、牒状を送りました。

延暦寺は園城寺は末寺なのに同等の立場を取ろうとしていることや、清盛より物品が贈られたことにより園城寺に憤慨し、返答しませんでした。延暦寺を頼れない園城寺だけでは兵力に欠けるため、協力の申し出があった興福寺へ以仁王は移動することとなりました。

平家物語、吾妻鏡によると以仁王の御所となったのは法輪院だと記されています。
(吾妻鏡の注釈によると法輪院は現在廃絶)

また一方で、光浄院客殿が仁王が避難した僧房であると書籍『平清盛を巡る一大叙事詩「平家物語」の名場面をゆく』(ユニプラン)に紹介されています。
入れない?

光浄院客殿

一般公開はしていないそうで、この付近までにしました。
以仁王を匿った

解説

説明

以仁王がどこに匿われていたのか詳細不明ですが、それを考えながら探索するのも楽しみの一つかと思います。

境内色々

また前九年の役の時、源頼義が戦勝祈願したと伝わります。何度も焼失しているため源頼義のころから現存している建物はなさそうです。

三井寺広報僧 べんべん
べんべん

ここにも鐘が。
コイのご飯

蓮が

平治の乱は平治元年(1159)12月。それより前に勧請されたと推測できます。
平治の乱より前?

熊野権現

クジャクが寛いでいます。
雄はきらびやか

理由

桜の季節もオススメです。
満開

眺め

美しい

弁慶そば

仁王門近くのれすとらん風月は境内の外のため参拝者以外もご利用可能です。
なめこが入った弁慶そばをいただきました♪
なめこ

食事処

また、餡子が詰まった弁慶ひきづり鐘まんじゅうも販売されています。
購入したのに写真撮り忘れ…
お土産

とにかく広いので、しっかり時間を取ってゆっくりお参りされることをお勧めします。

住所
滋賀県大津市園城寺町246
交通
京阪「三井寺」駅から西へ徒歩15分

参拝について
有料、詳しくは公式サイト拝観案内ページへ↓
http://www.shiga-miidera.or.jp/guide/index.htm
参拝目安時間
1時間~
お気に入り度
★★★★☆
参拝日
2009/04/11、2015/08/22
備考
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