
※このページの写真は2025年1月1日撮影
壇ノ浦合戦を生き延びた平景清はある時、伯父(叔父)の能忍を訪ねてこの付近まできました。
能忍はもてなすための酒を持ってくるよう弟子に言いつけましたが、それを景清は自分の居場所を密告されると勘違いし、能忍を斬ってしまいました。
書籍『平家後抄(後編)』によるとこの出来事は建久5年後半~6年のころであろうと推測されています。
壇ノ浦合戦から9~10年経っています。
解説板より
この遊園はかつて小さな池でありました。
誤って伯父の大日坊能忍:だいにちぼう のうにん:を切ってしまった平景清が夜な夜なこの池で泪を流したとも伝えられ、泪の池と呼ばれています。
この遊園はかつて小さな池でありました。
誤って伯父の大日坊能忍:だいにちぼう のうにん:を切ってしまった平景清が夜な夜なこの池で泪を流したとも伝えられ、泪の池と呼ばれています。
(攝津名所圖會より)
大日坊(房)能忍:だいにちぼう のうにん:生没年不詳
日本達磨宗の開祖。栄西:えいさい:に先んじて臨済禅を唱える。
三重県鈴鹿市にある江西寺:こうぜいじ:を開創。
池があったことを感じさせるものは何もなく、泪の池という名前だけが残っています。
上新庄駅から歩くと神崎川にかかる橋を渡るとこんな風景に出会えました。
住所
大阪府吹田市内本町3丁目
交通
阪急「上新庄」駅から北西へ徒歩15分
探訪について
自由
探訪目安時間
10分~
探訪日
2025/01/01
備考
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