※このページの写真は2024年1月7日
屋島合戦の時の食事作りには弁慶が活躍していたことが分かる史蹟2箇所です。
合戦は寿永4(1185)年2月19日。現代の暦だと3月下旬ころ。ふきのとうなら手に入る季節?🤔
長刀泉
先ずは炊事に使用するための水。
解説板より
源平合戦の時、この付近は海が近く水がわるかったので源氏の兵は炊事をするのに弁慶が長刀で掘った井戸のところからきれいな水が湧き、その水を使ったと伝えられている古井戸です。
源平合戦の時、この付近は海が近く水がわるかったので源氏の兵は炊事をするのに弁慶が長刀で掘った井戸のところからきれいな水が湧き、その水を使ったと伝えられている古井戸です。
「三代物語」に「武蔵坊弁慶 屓尖刀鐓:なぎなたのいしずき:を以って、井戸を穿つ、しばらくして清泉湧く。云々」と記されています。
源平屋島合戦 八百年祭準備実行委員会
菜切地蔵
長刀泉から南へ進むと交差点に着き、矢印の方向へ進みます。
坂を上る途中、高い所に見えるのが菜切地蔵堂です。
下記写真の右側の道路が歩いてきた道です。
左手側、見上げると「菜切地蔵堂」の文字がなんとなく見えますがこのまま真っすぐ進みます。
到着。写真左側に地蔵堂があります。※石段は上りません。
解説板より
源平合戦の時、弁慶が源氏の兵のため炊事をするのにマナ板がなかったのでこの石地蔵の背で野菜を料理して汁を作り義経以下にさしあげたといいます。
源平合戦の時、弁慶が源氏の兵のため炊事をするのにマナ板がなかったのでこの石地蔵の背で野菜を料理して汁を作り義経以下にさしあげたといいます。
その時のことを後世の人は「弁慶がこしらえし菜は武蔵坊」と発句をよむとすかさず弁慶は「それを知りつつ九郎判官」と詠んだといわれお地蔵さんの背には、刀痕があるとまでいわれています。
源平屋島合戦 八百年祭準備実行委員会
堂内には正面にお地蔵様、向かって左に石仏?右側には五輪塔のようなものが祀られています。
ぜひ現地でご覧ください。
義経軍は船で阿波(現・徳島県)に着いてから不眠不休で屋島(現・香川県高松市)を目指したとされています。
戦に備えて腹ごしらえは重要ですね。
当時、合戦のあった季節にこの地で何を食べていたのか想像しながら歩くのも楽しいですね。
住所
香川県高松市牟礼町牟礼
交通
琴電「八栗」駅から南東へ徒歩10分で長刀泉更に南西へ徒歩8分で菜切地蔵
■長刀泉
↓南西へ徒歩約8分
■菜切地蔵
参拝について
自由
参拝目安時間
各10分~
お気に入り度
★★★☆☆
参拝日
2010/10/29、2024/01/07
備考