平忠度:たいらのただのり:は平清盛の末弟で、和歌が得意でした。
平家都落ちの際に歌の師である藤原俊成に自分で選んだ百首余りを書き綴った巻物を渡し、千載和歌集に選ばれた一首が歌碑として長等公園に建立されています。
「さざなみや 志賀の都は荒れにしを 昔ながらの山桜かな」
平清盛の弟、薩摩守 忠度の詠んだこの歌は「平家物語」にあるものだが、おそらく万葉の歌人 柿本人麻呂が、志賀の都跡を訪ね、その荒廃をなげいたのと同じように忠度も500年後の志賀の都跡を人麻呂と同じ感懐にふけり、平家都落ちの際 桜の長等山をさまよい詠んだものであろう。
長等公園は、この長等山の山腹に明治35年、大津で最初に開設された都市公園である。
※補足※
都落ちは寿永2年(1183)7月。半年後の寿永3年(1184)2月7日の一ノ谷合戦で忠度は討ち取られました。
そして、千載和歌集が完成したのは忠度が討たれてから約4年後の文治4年(1188)※文治3年完成の説も。
源氏の世になっていたため忠度の名を記載することが憚られ、「読み人知らず」として入選しました。
平忠度の父、母の歌のやりとりが平家物語一巻「鱸」に描かれており、忠度も歌の才に恵まれていたのでしょう。
京阪 上栄町駅から徒歩1分ほどのところにある長等公園入口。
園城寺別所 近松寺本堂の前を通り、さらに進みます。
訪れた時は散り始めで、道路に花びらが。
歌碑はこの上です。しっかりと「平忠度歌碑」と書かれています。
歩きやすい靴がオススメです。
これが忠度の歌碑です。
『さざなみや 志賀の都は あれにしを むかしながらの 山さくらかな』
らしいのですが、私には「さざなみや 志」までしか読み取れませんでした…「山さくら」の文字はどれ??
歌碑の隣が展望台です。
桜はその横に少し。
長等公園散策マップの現在地
展望台からの眺め。ここから見える範囲の桜は少なめです。
さて、歌碑を後にして西側へ歩いてみました。
ここの桜は色が濃い!!
散り始めでしたが、十分お花見できます。
こちらの入口は広場になっています。
屋根付きベンチに腰を掛け、自動販売機を利用する方も多く見かけました。
夕方の桜。
①京阪電車「上栄町」駅から徒歩15分
②JR「大津」駅から徒歩25分
北へ徒歩20分ほどの場所に園城寺(三井寺)があり、この周辺は桜が美い場所が多いです。