
「ながらじんじゃ」は平忠度の歌にも詠まれる志賀の都(近江大津宮)の鎮護として長等山に祀られたのが始まりで、春には歌碑のそばで桜も出迎えてくれます。
また、白河天皇の勅使により平安の祈願が行われたそうです。
「さざなみや 志賀の都は荒れにしを 昔ながらの山桜かな」
平清盛の弟・平薩摩守 忠度の詠んだこの歌は有名で「平家物語」や「千載和歌集」にみえている。
平忠度は一度訪れたであろう長等の春の清盛を思い起こして、平家都落ちの際に詠んだのではないかと伝えられている。
この歌碑は長等山の山上に建てられている碑より多くの人に見ていただくためにその歌碑を模して当神社の境内に建碑したものである。
昭和57年4月18日
之建
平忠度は文武両道で、歌も得意だったと伝わっていますが、いつどのように和歌を学んだのでしょう?
和歌山県新宮市熊野川町宮井は平忠度の生誕地とされ碑が建てられ、そこには母の出身地の熊野で18歳まで育ち、熊野参詣に来た兄・清盛に連れられ上洛したことが書かれています。
忠度18歳のころというと寿永2年(1161)ころ。平治の乱も終わり、平家が全盛期に向かっていっているときです。
京には忠度の歌の師の藤原俊成がいますが、それは上洛してから?熊野にいたころはどのように過ごしていたのか色々疑問がわいてきます。
ちなみに清盛と忠度の年の差は26。それまで対面したことはあったのでしょうか??
長等神社公式ホームページによる以前は立派な枝垂れ桜が咲いていたそうですが、枯れてしまったそうです。
現在は成長途中の木に花がちらほら。
その他、永保元年(1081)4月には白河天皇の勅使により平安の祈願が行われたことが公式ホームページに記載されています↓
http://nagarajinja.net/yuisho/yuisho.shtml
長等神社の長い歴史を考えると楼門は明治と比較的新しいようです。
桜の成長も楽しみに次は快晴の日に参詣したいと思います。