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明泉寺(平知章の墓)<兵庫県神戸市>

お墓

平知章(1169年生~1184年没)は一ノ谷合戦時は数え年で16歳。
父・平知盛を助けようとして代わりに討ち取られた平知章は、明泉寺の境内北西、墓地の1番奥に立派な墓が建てられています。

知章の墓

解説板より
山号は天照山、大日寺、大日さんで知られ牛の寺としても信仰を集めている。
天平年間、行基菩薩(668~749)が西代の蓮池を拓かれた際の創建と伝え、元は長田村から白川村を経て太山寺へ通じる長坂越東山の古明泉寺大日丘の地にあったが寿永3年(1184)2月7日の明泉寺合戦(吉川英治の「新平家物語」詳しい)に平盛俊が陣を布き義経の来襲に備えたため戦火で焼け、観応2年(1351)赤松判官光範公によりこの地に復興された。

また16才の知章が父知盛を助けて逃れさせ討死したのは当寺北方の谷モンナ池の辺りで薮の中に塚があったのを神戸史談会会長木村昇三氏等の手によって境内に移し、五輪塔として祀っている。

「平家物語」のこの一段は、今もなお時代を超えて人々の心を打つ。

3月28日 本尊御開帳大祭
(略)

略縁起

孝死の図

墓の横に建てられているのは孝死の図。
左下が知盛の侍で弓の名手・監物頼方と児玉党の大将と戦う知章。
その隙に愛馬・井上黒に乗って宗盛が待つ御座船を目指す知盛が右上の描かれています。

墓の右手に建つ
監物頼方
知章
児玉党
井上黒に乗った知盛
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平家物語によると知盛は自分の命惜しさに知章が討たれるのを見捨てて船を目指したと宗盛たちに話していますが、助けたくても助けられなかっただけだと私は信じています。後白河法皇からの停戦命令に義経の奇襲…混乱のさなか、たった3騎で落ちて行く知盛、知章、監物頼方。
助けられなかった自分を責めるための言葉だと思います。

知章とともに討取られた監物頼方は長田駅の近くに監物頼方の碑が建てられ、それまでは地元の方が管理をされていましたが2016年から明泉寺の敷地となり、毎年3月28日に知章と一緒に法要が行われているそうです。いつか参列して追記したいと思います。

知章の墓の前には蝶紋も刻まれています。
全体

境内

境内の真ん中にある松は「知章 思出の松」

思出の松全景
石碑
右上に注目
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本堂の両側には龍が。愛嬌のある顔です♪
本堂

龍

瓦

2016年3月5日の様子。
春

ここで義仲寺の文字を見るとは思わなかったです。
なるほど

参道にも平知章墓の標識が建てられています。
史蹟平知章墓

御本尊御開帳

毎年3月28日に開催されている明泉寺(大日寺)の御本尊御開帳と平知章の法要。

2020年、2021年ともに関係者のみとなってしまったそうですが、開催の有無を確認するため電話したところ2020年にも電話問い合わせしたことを覚えていてくださっていて関係者の皆さんが帰られた後に拝観させていただきました。
本堂

これまでは大数珠講:おおじゅずくり:などの他、ご飯とけんちん汁などが振る舞われ、落語や琵琶演奏などその年により少しずつ変えていたそうです。

牛祭りとも呼ばれるのは牛は大切な労働力でお話ししてくださってた方が子供の頃は近くの一般家庭でも牛が数等いたり、牧場もあったそうです。

そして明泉寺の祭のときに子牛も連れてきて祈っていたこともあり、牛の置物などが棚に多数並べられています。

震災の被害でかなりの数が割れてしまったそうですが、それでもたくさん飾られています。
境内にも牛の像が。
家族

御本尊は平安末期に行基が大輪田の泊の改修や蓮池開削の際に祀った長い歴史ある大日如来様。

頭が大きく作られているのは拝んだ時に下から見上げて頭が小さく見えないようにだそうです。
そんなことまで考えて作られているのはすごいの一言です。

中に木の芯があり、麻と粘土で作られているそうです。

明泉寺は平安末期のころは現在地より北へ1㎞もないほどの距離に寺があり平盛俊が陣をおき、その後の再興で現在地に移ったときは御本尊を祀る小さなお堂だったと伝わります。

時を経て本堂は昭和7年着工、翌8年完成。
その時に知章の墓が明泉寺に移されました。

本堂内に飾られている知章の墓の写真。
大正か昭和初期くらいのものだそうで、周りは草むらで石を積んである状態で五輪塔ではありませんでした。

最初は知章の墓は現在の位置の南側(境内内)にあったのを墓地拡張の際に移動させたそうです。
あの立派な墓をどのように移動させたかは不明だとか。
最初はここではなかった

本日はありませんでしたがいつもは3月28日には知章を描いたの掛軸の他、墓にも幕を貼ったりしているそうです。
本堂内には一ノ谷合戦で奮闘する美少年に描かれた知章の絵も。

また、監物太郎頼賢の碑がある土地は保存会から数年前に寄付されたもの。
保存会の方々も高齢化し、管理も難しくなってきているそうです。

毎年5月7日には祭礼があるそうです。

特別にお参りさせていただいた上にオリジナル瓦せんべいやボールペンなどを用意してくださいました。
美味しい

本当にありがとうございました。疫病が終息し、以前のような御本尊ご開帳が出来るようになったら3月28日にお参りしたいと思います。

住所
兵庫県神戸市長田区明泉寺町2丁目4-3
交通
①JR神戸駅前、JR兵庫駅前、神戸市営地下鉄長田駅前などから神戸市バス4系統 大日丘住宅前行き乗車「大日寺前」バス停下車すぐ
②神戸電鉄「長田」駅から西へ徒歩15分
③神戸市営地下鉄「長田」駅もしくは阪神「高速長田」駅から北へ徒歩25分
※③だと源平勇士の碑、監物太郎頼賢の碑、盛俊塚に立ち寄りながら明泉寺を目指せます。

参拝について
境内自由
参拝目安時間
15分~
お気に入り度
★★★★☆
参拝日
2016/03/05、2016/08/01、2021/03/28他
公式サイト

本堂内にはアニメ平家物語のポスターが貼られています。
ありがとうございました

明泉寺から南へ徒歩約8分の場所に平盛俊塚もあります。
ぜひ併せてお参りください。
標識

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