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母栖村<兵庫県宍粟市>

平家落人伝説 母栖村

母栖山登山口を少し登ったところから、山深い集落「母栖村」が見えます。
平維盛の妻・富士局と平満友が落ち延びてきた場所と伝わっています。

富士局

住所
兵庫県宍粟市山崎町母栖
交通

兵庫県宍粟郡誌(大正12年刊行)によると、元暦元年4月28日一ノ谷が落城し平維盛の妻・富士局と平満友が落ち延びてきて、子孫たちが繁栄し集落を成しました。
また、阿波にある父栖村には湯屋源内義盛の子孫がいて、母栖村の人々は維新前まで父栖村の人としか結婚しませんでした。
しかし、村で火災が起き書類が焼失した上に、疫病の救護の際に宝物が持ち出され、過去のことを知るのは難しいとありました。

・富士局
・平満友
・父栖村
いずれも詳細不明で、もしかすると母栖村にのみ伝わる伝説かもしれません。

そして残念なことにこの母栖村、現在では住人はいなくなってしまったと神戸新聞の記事に書かれていました。
お話しを伺うことも叶わないのかもしれません。
↓神戸新聞NEXT↓
https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/heiseimoyou/201805/0011277015.shtml

2018年10月現在は建物が残されていますが、このままではいずれ集落の姿を留めることが出来なくなってしまい、集落があったことも平家落人伝説も忘れ去られてしまう可能性があります。
この風景を自分の目で見れたことは感無量でした。

母栖集落

山崎町 母栖

母栖村へ

宍粟市役所を北上し、山神社(兵庫県宍粟市山崎町杉ケ瀬50)の方向へ因幡街道を逸れると突然、木々に囲まれた山道(舗装されている)を進むことに。
山神社から4km弱進むと右手のカーブになっている辺りに集落が見えてきます。しかしここでは止まらず、さらに進むとまもなく「母栖山登山口」に辿り着きます。

母栖山登山口

登山道

数メートル登ると道が左右に分かれ、右手へ。
奥にはまだ新しい墓石が見え、手前には小さな小さな小さな五輪塔が。
ここから母栖村集落が見渡せます。

五輪塔たち

平家馬場

また兵庫県宍粟郡誌の母栖集村の段に続いて「平家馬場」の記載があります。

富栖村西の山中に平家の邸跡があると伝わっています。
治承4年、頼朝の平氏追討の時に逃れてきて隠れ住み、平家屋敷もしくは平家馬場と呼ばれる平坦は場所が山頂にあります。
しかし草木が覆い茂り痕跡はないと、大正12年発行の時点で記載されています。

治承4年は福原遷都や頼朝や各地の源氏たちが挙兵した年。源氏との戦いはこれからというこの時期に平家の誰かがこの地まで逃れてきたのか謎です。
こうして忘れられていく場所もあるかもしれないと、切なくなりました。

宍粟郡誌には地図もついており、富栖村の場所は母栖村より南側のようです。
●簡単な位置関係図
宍粟郡略地図

※兵庫県宍粟郡誌は神戸中央図書館(地下鉄大倉山駅徒歩5分)で閲覧可能です。
謎の多い平家落人伝説、辿ってみると新しい発見や疑問がわいてきて楽しいですね。

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