徳島県の木屋平(こやだいら)に伝わる安徳天皇潜幸、平家落人伝説。
『木屋平』の地名は平知経(たいらのともつね・平知盛の子もしくは孫)が『森遠』の地に、小屋の内裏を作ったことに由来。
小屋と平家の「平」とを合わせた「小屋平」氏と名乗り、さらに「小」が「木」に代わり、『木屋平』村として定着しました。
長年、平家に使えてきた阿波民部重能(田口成良)。
平家物語では壇ノ浦合戦前に知盛卿が「阿波民部重能は裏切るから切ってしまうべきだ」と宗盛公に進言したのに却下され、結果、壇ノ浦で知盛卿の予想通り重能は裏切り平家滅亡の要因に……ですが、この地では重能は息子と共に安徳天皇の潜幸を助けたと伝わります。
(改訂版 木屋平村史 参照)
平家の家人・田口成直は父の田口成良と計って安徳天皇やその他の人々を壇ノ浦から伊予の大三島に迎え、平国盛がお供をして山路を伝って祖谷山に行幸し、文治元年に木屋平村に遷幸と伝わっています。
※平国盛とは平教経のことです。
平家の家人・田口成直は父の田口成良と計って安徳天皇やその他の人々を壇ノ浦から伊予の大三島に迎え、平国盛がお供をして山路を伝って祖谷山に行幸し、文治元年に木屋平村に遷幸と伝わっています。
※平国盛とは平教経のことです。
住所
正八幡神社:徳島県美馬市木屋平森遠363
交通
車でないと難しい
※道路幅が狭い箇所があるため、小型車が向いている
※道路幅が狭い箇所があるため、小型車が向いている
参拝について
自由
参拝目安時間
15分~
お気に入り度
★★★☆☆
参拝日
2018/07/16
備考
–
平家落人伝説
木屋平は標高1955mの劔山(つるぎさん)の北側の麓にあり、内裏が作られたのが木屋平の「森遠」の地と云われています。
この標識からさらに坂を上がり、正八幡神社が小屋の内裏があったとされる森遠付近です。
立派なスズメバチの巣がありました(;´д`)住人がいなくてやれやれ。
穴吹駅から車で1時間強。
道中、後を追ってきた娘の話しが「恋人峠」として解説がありました。
恋人峠
剣峡周辺観光案内図にも同じ文章が書かれています。
解説板があるのは観光案内図より東側で車が止められない場所(^^;;
各地に様々な伝説が残る安徳天皇潜幸、平家落人伝説。
遠出の際に少しずつ調べたいと思います。