戻橋には様々な伝説がありますが、個人的に注目なのは2つ。
・渡辺綱が鬼と遭遇
・二位の尼(平時子)が娘のために橋占を行った
まずは渡辺綱にまつわる話。現地の説明からどうぞ。
延喜18年(918)、文章:もんじょう:博士・三善清行:みよしきよつら:が亡くなった時、父の死を聞いた子の浄蔵が紀州熊野から京都に馳せ帰ってみると、その葬列は丁度この橋の上を通っていた。
浄蔵は柩にすがって泣き悲しみ、神仏に熱誠をこめて祈願したところ、不思議にも父清行は一時蘇生して父子物語を交したという伝説から戻橋と名付けたという。
太平記、剣の巻によれば、その頃、源頼光の四天王の一人であった渡辺綱が深夜この橋の東詰で容貌美しい女子にやつした鬼女に出遭ったという伝説もあるところである。
源頼光の四天王と呼ばれるのは
渡辺綱:わたなべのつな:
坂田金時:さかたきんとき:
卜部季武:うらべのすえたけ:
碓井貞光:うすいさだみつ:
以上4名。
源頼光は源頼政の先祖で948年生まれ1021年没
渡辺綱は953年生まれ1025年没
平清盛より160歳以上年上の時代に活躍した人物です。
※生没年は書籍『ビジュアル源平1000人』(世界文化社)を参考にしました
その他、書籍『源義経と源平の京都』(ユニプラン)によると源平盛衰記には平清盛と時子の娘で高倉天皇の中宮となった徳子の出産の時に、時子が戻橋で「橋占:はしうら:」を行ったとされています。
橋を通行する人々の言葉を聞いて占うのが橋占だそうです。詳しくは存じておりませんが、通行人に直接何かを聴くのではなく耳に入ってくる会話を元にするようです。
この付近は多くの陰陽師の居住地があり、平安後期ころには橋占をする有名な場所になっていたとか。
現在では徒歩3分ほどのところに清明神社が鎮座しています。
また、『源義経と源平の京都』には源頼光の邸は橋の東側にあったことや、大内裏の鬼門の方角にあたるとも書かれています。
現代の風景からは当時を想像するのはなかなか難しいですが、ここも源平ゆかりの地の1つとして載せておきます。
近づくと橋全体を写真に収めにくく
交差点の向こう側からだと交通量が多く車や人が途切れずこれが限界でした。
※北へ徒歩3分ほどで清明神社です