平清盛が娘・徳子の安産祈願のために彫らせた地蔵。
耳がない理由は…
解説板より
”清水の耳なし地蔵”の由来
”清水の耳なし地蔵”の由来
1178年春、平清盛は、高倉天皇に入内させた徳子(清盛の子)の安産祈願のため、厳島神社に向かった。
しかし、船旅の途中、激しい風に遭い、徳子の出産に胸騒ぎがした清盛は、安産を祈るため、石工に地蔵を彫るように命じた。
石工が耳を完成させる前に、徳子が元気な男の子(安徳天皇)を出産したため、耳がついていない地蔵をそのままの姿で祀った。
その地蔵が忠海の辻地蔵似心堂にある「清水の耳なし地蔵」といわれている。
※この解説はJR忠海駅構内
確かに耳がない
春に懐妊が分かって、11月に出産。お地蔵様を作るのにどれくらい時間がかかるものでしょうか?
耳もないですが、まだ作成途中という印象を強く受けました。
地元の方々によって、堂内はきれいに整えられていました。
説明はここにはありませんが堂内に扁額が飾られています。
立派な堂に今も大切に祀られているのはとても嬉しいことですね(o^^o)
住所
広島県竹原市忠海東町4丁目
交通
JR忠海駅から徒歩15分
参拝について
自由参拝
参拝目安時間
10分~
お気に入り度
★★★★★
参拝日
2015/09/21
備考
–
因みに最寄りの忠海駅やこの周辺の「忠海」の地名は平清盛の父・平忠盛に由来するものです。
忠海についてはこちら
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