京へ向かう途中、巴御前の出産のために留まりましたが、悲しいことに死産。
弔いのための松は枯れてしまいましたが五輪塔が残されています。
のどかな場所に
現地に行ってみると田畑が広がっている一角に木々が生えているのが見えました。
望遠で撮ってみると五輪塔らしきものが!!左側に写っている建物は不明…
目的の五輪塔はやはりこれ?
説明板などはなく雨に打たれたような紙が。
解説板より
今から830年前の源平の頃、朝日将軍 木曽義仲が山本義経を味方に平家をやっつける為、京都に攻めのぼる折、山本にしばらく留まった。
それは巴御前のお産のためである。
今から830年前の源平の頃、朝日将軍 木曽義仲が山本義経を味方に平家をやっつける為、京都に攻めのぼる折、山本にしばらく留まった。
それは巴御前のお産のためである。
巴御前は女児を生んだが、死産だったので山本の三百坊の寺の住職に回向をたのみ、御子を葬って五輪の塔を建て、松を一本植え、京に攻めのぼった。
米原付近に●●●死んだ自分の子を思って山本の方を振り返って見たと言われている。
だれかれとなく、その●●●見かえり松と言い、後生に伝わった。
松は枯れたが五輪の塔は山本の里人によって残されている。
※●は読めませんでした
辛い内容です…
↓弔いのためでしょうか?
腰を掛けて一息つけるようになっています。
はっきりした年月は書かれていませんが内容から、寿永2年(1183)6月の篠原合戦の後に京へ向かう途中と推測できます。
しかし、それでは巴はかなりお腹が大きい状態で5月の倶利伽羅峠合戦などに出陣していることになってしまいます。
謎が多い……
松跡さえないようで五輪塔のみでした。
別件ですが、ここから治承4年12月に平知盛と山本義経が戦った山本山全体が綺麗に見えます。
登山口まで徒歩約15分ですが、クマが出るらしいので勧められません…
長浜市 | 平知盛と山本義経が戦った 山本山 >> |
平知盛 山本義経 |
見かえりの松と五輪の塔へ
住所
滋賀県長浜市湖北町山本
交通
JR河毛駅より湖北コミュニティバス約15分「山本山登山口」下車、南へ徒歩20分
探訪について
自由
探訪目安時間
15分~
お気に入り度
★★★☆☆
探訪日
2016/05/05
備考
–