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満願寺の俊寛僧都故居碑<京都府京都市>

満願寺境内に立つ「俊寛僧都故居碑」
鹿ヶ谷事件の首謀者の一人・俊寛の邸宅があったとされる場所です。
俊寛がこの付近に住んでいたと伝わる

住所
京都府京都市左京区岡崎法勝寺町130
交通
京都市営地下鉄「蹴上」駅から徒歩20分

参拝について
境内自由
参拝目安時間
15分~
お気に入り度
★★★☆☆
参拝日
2013/09/21
備考
俊寛って誰?

法勝寺の僧で、寺の事務を総括する役目を担っていて僧都(そうず)という僧の位についていました。
(法勝寺についてはこちら → https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/hossyouji-saifukuji/

京極に住んでいる源雅俊の孫。源雅俊は短気でとても怒りやすい性格だったので、その孫である俊寛も気性が荒いと平家物語覚一本に描かれています。

満願寺 俊寛僧都故居碑

拡大すると「俊寛僧都」とハッキリ読み取れますね。
俊寛の文字が刻まれている

満願寺

満願寺平安初期に建てられたそうです。
境内自由参拝、人もまばらで静かです。

俊寛はどのような邸宅に住んでいたのか、色々想像が膨らみます!
満願寺 出入口

しかし、鹿ヶ谷事件は未遂に終わりました。
平家物語覚一本によると、密告したのは藤原成親が頼りにしていた多田蔵人行綱。
成親は多田蔵人行綱に、平家打倒の計画が成功したら報酬を約束するので大将になってほしいという話を持ちかけました。

しかし、計画があまりにも杜撰で、不安になった行綱が西八条邸の平清盛に密告。
藤原成親が呼び出され、次に西光が捕らえられ拷問の末に白状し、関係者が次々と捕らえられ流罪などそれぞれ処罰されていきます。

中でも西光は酷い処罰をされた1人です。
次回は西光について続きます!

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