毎回様々な展示を見学できる京都国立博物館。
「聖地をたずねて 西国三十三所の信仰と至宝」には平清盛の娘で高倉天皇の中宮となった建礼門院ゆかりの仏像も展示されていると知人からの情報で、拝観してきました。
また、敷地内の佐藤継信、佐藤忠信の墓と伝わる塔については後述します。
当初の期間は2020年4月11日~5月31日でしたが、新型コロナウイルスの感染予防、防止のため同年7月23日~9月13日に変更になり、私が訪れたのが9月12日。
結構混雑していて10分待ちでした。
チラシやチケットなどになっている写真の中央の仏像に注目。
こちらは京都の紫雲山 頂法寺(六角堂)の秘仏「如意輪観音坐像」。
池坊公式サイト「六角堂特別拝観」ページ(https://www.ikenobo.jp/rokkakudo/gokaihi/)によると懐妊が判明した建礼門院が安産祈願のために治承2(1178)年6月27日に寄進したと伝わっています。
そして建礼門院は11月12日に無事に、後の安徳天皇と呼ばれる皇子を出産しました。
とても繊細で穏やかなお顔の仏様で、個別のケースで展示されていましたので背面もぐるっと回って拝見することができました。
また、鳥羽天皇のお手植えのイチョウが見守る舞鶴市の松尾寺からは、鳥羽天皇の中宮・美福門院の念持仏の仏画「普賢延命菩薩像」の展示も。
松尾寺の宝物殿でも拝観できますが、通年ではないため今回良い機会になりました。
図録やポストカードなどは通販サイトが開設されています。
2020年12月31日までだそうですので、気になっている方はお早めに↓
https://seichiwotazunete.com/
京都国立博物館の北西角に建てられている十三重塔。
奥州藤原氏の藤原秀衡が義経に付き従わせた佐藤継信、佐藤忠信:さとうつぐのぶ、さとうただのぶ:兄弟の墓と伝わっています。
北塔:無銘
南塔:永仁3年(1295)銘
鎌倉時代 十三世紀
この石塔二基は、現在地から北東に500メートルほどに位置する馬町(東山区渋谷通東大路東入ル)の路地裏にあった。
塚の上に並んで立ち、源義経の家人、佐藤継信・忠信兄弟の墓と伝えられていた。
江戸時代の『都名所図会』に見るように、北塔は五層、南塔は三層となり、地震で落ちたと思われる上層の石は、塚の土留めとして残されていたという。
昭和15年(1940)に解体修理が行われ、現在の十三重塔の姿に復元された。その際、小さな仏像や塔などの納入品が、両塔の初重塔身の石に設けられた孔の中から発見されている。
両塔は、ともに花崗岩製。南塔の基礎正面に「永仁3年(1295)2月、願主法西」の刻銘があるが、北塔に銘文はなく、二基の十三重石塔が造られた経緯は明らかにされていない。
なお、以前あった相輪部は後補であったため、移設にあたり取り外している。
文末の「相輪」は両塔の側に置かれています。
屋外ですが京都国立博物館敷地内のため、入場券が必要です。
お目当ての展示があるときに一緒に見に行かれてはいかがでしょうか。
噴水付近から見える十三重塔。
芝生の端に道があり、その奥に見えてきます。
徒歩15分ほどの馬町交差点の東側の路地にある佐藤継信・忠信兄弟の墓については後日紹介します。
②京都駅から市バス乗車、「博物館三十三間堂前」バス停下車すぐ
航空写真でも拡大すると十三重塔が確認できます。