寿永2(1183)年5月11日
平維盛率いる平家軍と木曽義仲率いる源氏軍が倶利伽羅峠で合戦となりました。
平家軍は京を出発し石川県側から、源氏軍は富山県側から進軍してきました。
義仲の奇襲・火牛の計という牛の角に松明を括り付け平家軍むけて放ったとされていて、平家軍の多くは谷底へ。
流れ出た血や膿が川となり「膿川」と呼ばれるようになった場所も。
倶利伽羅源平供養塔では毎年5月12日に法要が行われています。
倶利伽羅峠は富山県と石川県にまたがっており、供養塔があるのは富山県小矢部市ですが、西へ徒歩2分ほどで石川県津幡町という県境。
導師の方も小矢部市と津幡町からそれぞれ1名ずつ。
かなり大きな供養塔で、見慣れている敦盛塚(兵庫県神戸市須磨区)が約4メートルなのでその2倍近くあると思ってみていましたが、パンフレットによると6.8メートルだそうです。
法要は実行委員会や観光協会など地元の方が約10名。
一般人は私だけでした。
途中でお焼香も。
SNSで法要を知り、数年前から参列したいと思っていました。
皆様、ありがとうございました。
供養塔へは階段を上ります。
開始前の様子。
忘れてはいけないのが、次に紹介する平為盛塚。
大きな供養塔の背後にひっそりとあります。
平頼盛の息子でこの合戦で源氏軍の樋口兼光に討たれたとされています。
下記の説明板に、元あった場所が記されていますがここから現代の地図上で約6.5km離れた中学校の近く。思ったより遠い。
倶利伽羅峠へは車かタクシー、または倶利伽羅駅か石動駅のどちらかから徒歩になります。
平家軍は石川県側から攻めたので、私も石川県側の倶利伽羅駅から歩きました。
階段アートも素敵ですね!!
駅構内から見える火牛像
駅外から。
合戦図は両面に説明が書かれています。
標高の目安。
地図上では約40分となっていましたが、上り坂をのんびり歩いていたので供養塔まで約1時間かかりました。
自然豊かで熊出没の危険も。
このすごい坂をのぼると間もなく見えてくるのが倶利迦羅不動寺。
倶利伽羅不動寺ではなく、倶利迦羅不動寺だそうです。しんにょうの「迦」ですね。
境内から立山連峰が見えると教えていただきました。
日により見え方が全く異なり、しかもこの日はいつもより見える範囲が広かったそうです。運が良かった!!
倶利迦羅不動寺からしばら歩くと倶利伽羅公園。トイレもあります。
倶利伽羅峠には合戦にまつわる場所が多数あります。訪れる方は熊などに注意しながら楽しんでくださいね。
火牛モニュメントの後ろ姿。義仲軍目線だとこんな感じ?