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小道地蔵堂<神奈川県湯河原町>

このページで紹介する小道地蔵堂は移転され建てられた堂だそうですが、頼朝に関係する話が伝わっています。
石橋山合戦に敗れ、逃亡する源頼朝一行を匿った純海:じゅんかい:和尚。

湯河原町役場観光課発行のパンフレット「鎌倉幕府開運街道」によると星ヶ山にあった小道地蔵堂に石橋山合戦で戦った平家方の大庭景親軍が頼朝を追ってやってきました。
小道地蔵堂の僧・純海は大庭軍の厳しい尋問に床下に匿った頼朝一行のことは一切白状せず、息絶えてしまいました。
静まってから頼朝一行が床下から這い出て目にしたのは無残な純海な姿でした。

頼朝の涙により純海は息を吹き返し、鎌倉に落ち着いた頼朝は寺領などを与えたとされています。
お堂

解説板より
小道地蔵堂(小道山頼朝寺)

治承4年8月23日(1180)石橋山の合戦に敗れ、土肥実平に導かれて杉山に隠れた源頼朝主従は、小道地蔵堂にかくまわれ堂僧・純海:じゅんかい:の命がけの庇護により、平家方の執拗な追跡の手を逃れた。

後日頼朝は、広大なる寺田と、土肥山中の勝地を卜:ぼく:して新御堂を建立して純海に与え、その恩に報じたが、その堂宇は文永2年(1265)火災にあい焼失し、寺田もまた海潮により流失してしまった。

現在の地蔵堂は、貞享2年(1685)岩本勘兵衛が、焼け残っていた本尊の地蔵石像をこの地に移し、その30年後、禅廊和尚が近隣の村々から寄付を募り再建したものである。

(源平盛衰記、新編相模風土記稿)

ゆがわら
端っこに設置されている

小道地蔵堂があった場所は「小道地蔵堂 寺屋敷跡」となっています。
山中の黒い★が頼朝の時代にあった小道地蔵堂。現在は海の近くに移転しています。

正面

毎月23日に地蔵法要があるようです。
毎月

休憩処

碑に刻まれた「寿永」「源」の文字は見つけられましたが内容はわかりませんでした。
脇にある


頼朝の時代とは場所が違いますが、こちらも史蹟巡りの一環としていかがでしょうか。

住所
神奈川県足柄下郡湯河原町吉浜
交通
車が便利

参拝について
境内自由
参拝目安時間
10分~
お気に入り度
★★★☆☆
参拝日
2023/02/05
備考
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