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小松寺<京都府亀岡市>

京都の特別公開機関に公開されることも

開山は平重盛の孫・源智上人(げんちしょうにん)と伝わり、亀岡市では数少ない平家ゆかりの寺と云われているそうです。
また、重盛の守本尊も安置されています。
平重盛ゆかりの小松寺

住所
京都府亀岡市千代川町千原東斉ノ本23
交通
JR「千代川」駅徒歩20分
※レンタサイクルが便利 → http://www.city.kameoka.kyoto.jp/kankou/kankoukyoukai/rentalcycle.html

参拝について
境内自由
参拝目安時間
15分~
お気に入り度
★★★★★
参拝日
2017/04/13
備考
小松寺 由来 解説板より
名称
金華山 霊光慈眼院小松寺(浄土宗)

開山
勢観房 源智上人(1183-1238)

平重盛の孫で法然上人の弟子「一枚起請文」は源智の要請により法然が建暦2年(1212)浄土往生の容儀を一紙に書き与えられたものである。」

開基
妙善法尼(当 千原村出身というが不詳)

本尊
阿弥陀如来

創立
文明18年(1486)以前

由緒
寺伝によれば、平安末期の武将で平清盛の長子であり、小松内大臣と称せられた平重盛(1137~1179)は、佛の信仰厚く中国 宋の育央山に祠堂金を納めた際、青龍寺より石造十一面観音像を贈られ守本尊としていたが、この頃寵愛していた妙善にこの像を与えた。
その後妙善は故郷千原村へ帰り養和元年(1181)この地に観音堂を建て、この像を安置し、重盛に因んで小松寺と名付けたという。
(亀岡市内では数少ない平氏ゆかりの寺院といわれる)
明治初期の文書には「文禄年間(1592~1596)の当時焼失に際し、由緒書類等焼滅につき不詳なれど創建はおよそ六百年以前とす」とある。
また、当山第二十世渾誉の署名花押のある寛政元年(1789)の「覚」によれば「開基は小松三位重盛卿、再興是海」とあり「慶長元年(1596)再興す」と記されている。
民家を移築したと伝える本堂兼庫裡(くり)・明治15年(1882)再建の鐘堂・明治33年(1900)新建造の表門や観音堂の他に明治6年春・墓地(ラントウ)まで村の街道筋から移されてきた。
北條時頼ゆかりの高卒塔婆が建っている。

創建は不明ながらも重盛ゆかりの由緒

道のり

小松寺の参道は奥まっていて見つけにくいかもしれませんが、このお地蔵様と灯籠の斜め前にある細い道の奥に赤い手すりの階段がみえます。
灯籠

この長い階段の上に小松寺があります。
手すり付き

門の脇に立派な「小松寺」の碑。
山門

本堂。
小松寺

少し高い場所にあり、付近を見渡すことができます。
眺望

守本尊について
観音堂解説板より
創立
文明18年(1486)以前創立ノ堂

本尊
十一面観世音菩薩一躯
龍岸石座像 高サ三寸五分 巾一寸七分
光背蓮花座共造付作者不詳

「本尊ハ小松内大臣平朝臣重盛公安元元年(1175)6月大宋国育王山青龍寺、祠堂金御寄進在シ時龍岸石十一面観音菩薩御丈三寸五分、尊像ヲ育王山ヨリ送り給フ依テ重盛公御守本尊トシ給フ然ルに当村出生妙善ナル重盛公ニ仕フ深ク寵を蒙ル故ニ重盛公ノ命ニ此ノ尊像汝ニ譲リ与フ汝必ス大切に崇敬セヨト仰セラレテ公薨土ノ後当村ヘ持帰リ観音堂ヲ養和元年(1181)建立尊像ヲ安置スト云フ

所在地
小松寺境外 小字小山ケ岳弐拾六番地 第一号
右之通相違無之候也

明治9年5月
(小松寺所蔵文書より)

難しい内容…

お寺の方がいらっしゃたので守本尊の懸仏の拝観お願いしたら快く案内してくださいました。
この扁額とともに安置されています。
懸仏

過去に博物館などへ出張していたこともあったそうですので、拝観希望の方は事前に確認されることをお勧めします。

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