
※このページの写真は2022年12月4日撮影
「めぬましょうでんざん かんぎいん」と読みます。
斎藤実盛が治承3(1179)年に大聖歓喜天を祀った聖天宮を建立したことにより、斎藤実盛の像が境内に建てられ、南へ約3kgの地点には館跡もあります。
斎藤実盛は平治の乱までは源氏方でしたがその後は平家軍として戦いました。
篠原合戦(石川県)で討たれた時は73歳。白髪を染めて戦ったと云われ、鏡を手に髪を染めている姿が像になっています。
なお、髪を染めるている像は石川県の多太神社にもあります。
寿永2年6月1日の篠原合戦で実盛を討ったのは木曽義仲軍の手塚光盛。
木曽義仲は28年前の久寿2(1155)年8月、大蔵合戦で父・義賢が討たれました。2~3歳だった義仲を守るために現・長野県の木曽へ送り届けたのが実盛でした。義仲にとって実盛は恩人ということです。
池で首を洗うと白髪が現れ、実盛だと確信した木曽義仲は涙がとまりませんでした。
小学唱歌になっている歌は実盛像の左側に。
かなり広い境内、本堂は有料ですが境内はもちろん、境内にいらっしゃるガイドさんも無料で案内してくださいます。
実盛像の他、門を見る角度や龍に子供がいることなど、ガイドさんの案内がないと気づけないことが多いので勉強になりました。
境内には『斎藤別当実盛公敬仰会 会員募集』の張り紙がありました。
また、7月には実盛忌法要も営まれているそうです。いつか!!
日程は公式ホームページの行事案内参考↓
http://www.ksky.ne.jp/~shouden/gyougi.html
また改めてゆっくり拝観したいと思います。
住所
埼玉県熊谷市妻沼1511
交通
JR熊谷駅より朝日バス乗車約30分、「妻沼聖天前」バス停下車すぐ
参拝について
境内自由、本堂有料
参拝目安時間
20分~
公式ホームページ
参道の脇の騎崎屋さんには実盛うどんがありますが満席、順番待ちしている人も。
営業時間を確認して時間を改めて出直すとなぜか閉店していて結局食べれませんでした。