時の権力者・白河法皇(1053~1129)が思い通りにならないのは
『加茂河の水、双六の賽、山法師。是ぞわが心にかなわぬもの』
という言葉が平家物語一巻「願立」に登場します。
この写真からはなかなか想像がつかないかもしれませんが平安時代、度々洪水が起こりどんなに権力があっても悲しいことに自然災害はどうにもならなかったのが白河法皇の言葉に現れていますね…
保元の乱では鴨川を挟んで西側の高松殿には後白河天皇方が、東側の白河殿(白河北殿、白河南殿)には崇徳上皇方が集まりました。
書籍『週刊 絵で知る日本史 保元合戦図屏風』(集英社)によると保元元年(1156)7月11日午前4時ころ、鴨川河原に鬨の声があがりまずは後白河天皇方の源義朝が矢戦をしかけ、次に平清盛が鴨川を渡り白河北殿に迫ったとされています。
勝利したのは後白河天皇方です。
多くの人々が行き交ったであろう鴨川。
このページの写真は上賀茂神社近くで撮影しました。
場所
京都市を広範囲で南北に流れる
探訪について
自由散策
探訪目安時間
10分~
お気に入り度
★★★☆☆
探訪日
2017/08/19
備考
–
空と川、木々の緑がキレイです。