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常照院<岡山県倉敷市>

大きな記念碑がある

水島合戦当時は海に浮かぶ島の一つ・乙島に源氏軍が陣を置き、常照院境内には源平水島合戦城趾碑があります。

平家物語によると木曽義仲軍の矢田判官代義清と海野弥平四郎行広が平家の平知盛、教経と戦って平家が勝利。
水島合戦は平家の都落ち後に行われ、勝利した平家が勢力を盛り返した重要な戦です。
源平水島合戦城趾

玉島大橋の付近で行われたと云われています。
遠くからみる玉島大橋

住所
岡山県倉敷市玉島乙島257
交通
JR新倉敷駅から井笠バスで約10分「船宮」バス停下車徒歩約25分(本数が少ないので注意)
※船宮バス停の南西に水島古戦場跡有り。玉島大橋(水玉ブリッジライン)を西から東へ渡って北上すると常照院。

参拝について
自由参拝
参拝目安時間
15分~
お気に入り度
★★★☆
参拝日
2014/04/26
備考
解説板より
今を去る八百年の昔、寿永2年(1183)閏10月1日木曽義仲の客将の矢田判官代義清、信濃国住人 海野弥平四郎行廣率いる源氏軍と、新中納言 知盛、能登守 教経率いる平家軍が●条として風荒ぶ水島が途に凄絶なる海上戦を展開。世にいう水島合戦である。
   
名にしおう味方の水軍に「いかに者共、いくさをばゆるに仕るぞ。北国のやつばらに生け捕られむをば心憂しとは思わずや」と、絶叫叱咤する教経 宿命的な二つの軍団の運命を暗示するかの如く、天日晻々と俄にかげり、白砂の磯を紅に染めて源氏軍の惨敗に終る。
平家方は「水島のいくさに勝ちてこそ会稽の恥を雪めけれ。」

星移り時流れ誰か覚ゆ海風啾々たるを、ここに古戦場を俯瞰す城趾に懐古の一碑を献じ、つわもの共の霊を弔うものである。

昭和58年11月17日
乙島文化財保存会

※●は判読できませんでした…

水島合戦について

平家が得意な船戦

水島合戦は現在の玉島大橋がかかるあたりで、海戦だった云われています。
平家物語(覚一本)の「水島合戦」の章に描かれている教経の活躍が(๑˃̵ᴗ˂̵)و

玉島大橋は歩道もあるので歩いて渡れます♪
たましまおおはし

この橋の付近で水島合戦が行われた

毎年9月に源平慰霊祭

常照院の「八幡大菩薩大祭」は五穀豊穣と源平水島合戦の慰霊のためお祭りだそうです。
参加したいと思いながら未だに実行できていません…
日程など詳しくは常照院のホームページでご確認ください↓
http://ofune2.la.coocan.jp/jyoushouin/

ご参考に、平成25年の八幡大菩薩大祭のポスターです。
八幡大菩薩大祭

常照院

境内

木の影に記念碑が。
遠くに記念碑が見える

境内の雰囲気がとても素敵な場所でした。
植物

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