平家の郎党・妹尾兼康のご命日は平家物語によると閏10月12日。
兼康の墓の現地解説にも10月12日と書かれています(https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/senookaneyasunohaka/)が、書籍『妹尾太郎兼康を「平家物語」諸本から読み比べる』(吉備人出版)には10月12日とする地域と、10月14日とする地域の2通りあるそうです。
ここ盛隆寺には10月14日戦死と刻まれた碑があるとのこと、お参りしてきました。
啓運山 盛隆寺:けいうんざん じょうりゅうじ:と読みます。
寺の境内に鳥居があり、その先にあるのが「妹尾太郎兼康 頌徳碑」です。
もっと近づいてみると
右列:壽永2年
左列:閏十月十四日戦死
中央下には確かに兼康の名が刻まれています。
こちらはなんと書いてあるのか不明ですが「妹尾」の文字だけは読み取れました。
縁起にも兼康のことはなく、お寺の方にうかがってもなぜここに兼康の頌徳碑があるのか、はっきりした答えは返ってきませんでした…
北へ徒歩10分弱で兼康が築いた洲浜城趾があるからでしょうか?
代わりに(?)開基である戸川氏の墓地を見せてくださいました。
残念ながら兼康に関する情報は得られませんでしたが、洲浜城趾を訪れた際は併せてお参りされてはいかがでしょうか。
州浜城址について↓
https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/suhamajyou/
住所
岡山県岡山市南区妹尾1757
交通
JR「妹尾」駅から北へ徒歩7分
参拝について
境内自由
参拝目安時間
20分~
お気に入り度
★★★☆☆
参拝日
2018/01/21
備考
–
山門近くの手水舎が印象的でした。