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石清水八幡宮<京都府八幡市>

大分県の宇佐八幡宮を京に勧請したのが石清水八幡宮の始まりです。
本殿

大河ドラマ平清盛でも紹介されていましたが、都の守護(裏鬼門)であり、源氏からも平家からも信仰の対象となっていました。
平清盛が舞を奉納した記録も残されているそうです。
石燈籠

住所
京都府八幡市八幡高坊30
交通
本殿は山頂にあります。

①山頂へ
京阪電車「八幡市(やわたし)」駅から男山ケーブル「男山山上」駅下車、徒歩5分で山頂に到着。
②駅から徒歩
京阪電車八幡市駅から徒歩5分で一の鳥居。山頂へは石段を。まあまあ登ります。

↓京阪電車「石清水八幡宮参道ケーブル」↓
https://www.keihan.co.jp/traffic/traintraffic/otokoyama.html
※ケーブルは往復切符もありますが、片道はケーブル、片道は徒歩がオススメ

参拝について
境内無料
開門は季節により異なりますが、早い時期は朝5時30分。詳しくは石清水八幡宮のHPでご確認ください。
石清水八幡宮HP境内案内 → http://www.iwashimizu.or.jp/about/keidai.html
参拝目安時間
90分~
お気に入り度
★★★☆☆
参拝日
2014/09/21、2017/05/05
備考
境内に展望台や食事処有り

公式ホームページ
http://www.iwashimizu.or.jp/top.php

鹿ヶ谷事件の直前

個人的に気になるのが、鹿ヶ谷事件の首謀者の1人・藤原成親が祈願した場所だということです。

鹿ヶ谷事件を簡単にまとめると…
安元3(1177)年、平家全盛期に平家打倒を企て、多田行綱の密告により失敗に終わった事件です。
ことの発端は藤原成親が、空きになった左大将の座を渇望したものの、平家一門のものになってしまった恨みから始まります。
左大将の後任には徳大寺実定が有力視されていましたが他にも希望者が多く、中でも1番欲しがったのは後白河法皇の寵臣の藤原成親です。
藤原成親は平重盛の正妻の兄であり、成親の娘は重盛の長男・維盛の妻となっていて平家にとても縁深い人物でもあります。

■系図
藤原成親略系図

平家物語覚一本によると藤原成親は左大将の座を手に入れるべく、執拗に神に祈り始めます。

左大将の座を手に入れるために、成親は石清水八幡宮で7日間、100人の僧に大般若経を読ませていたそのさなかに、山鳩が3匹飛んできて共食いをするという異変が起きました。
二の鳥居や後述の源頼朝ゆかりの松の近くにある「甲良神社(こうらじんじゃ)」での出来事です。

甲良神社

「山鳩」も異変を大きく知らせるキーワードでしょうか?

鳩は石清水八幡宮の神の使いです。
本殿にも鳩の装飾があり、鳩みくじも販売されています。

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源頼朝の参拝

私的、公的含め源頼朝は妻・政子や子供を連れて5度参詣して6本の松の苗木を奉納し、昭和22年まで生き残った1本も落雷で焼失、現代では2代目の松が二の鳥居近くで出迎えてくれます。

二代目の松

空と

松跡碑

境内案内図にも描かれています。
案内図

源氏の元服

『稽古照今・石清水歴史探訪選 文化燦燦 第二号』によると石清水八幡宮で元服した源義家の産着や甲冑、旗があったが火災で失われ、義家の太刀はなぜか秀吉が全部持って行ってしまったそうです。
源義家関連のものはお目にかかれませんが、記録が残っているのがありがたいですね。
ここで元服したことが所以で源義家は「八幡太郎義家」と呼ばれています。

※文化燦燦はお守り授与所で販売されています。
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そして、木曽(現・長野県)で育っていた木曽義仲が石清水八幡宮で元服した説もあるそうですが、元服のために遠路はるばるわざわざ出向いてきたのも不思議です…

その他

2016年2月9日に石清水八幡宮は国宝に指定され、他にも多数の見どころがあります。

石清水八幡宮境内案内

展望台入口

展望台からの眺め
眺望

食事処も
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お祓い済の三品がお手頃価格!!
厄除けうどん

時間をかけてゆっくり参拝して、多数の人物に思いを馳せるにはぴったりな場所です。
石清水八幡宮

藤原成親の願いは上賀茂神社へと場所を変えてさらに続きます!!
↓上賀茂神社のページはこちら↓

北区上賀茂本山 藤原成親が左大将の座を願って祈願
上賀茂神社 >>
藤原成親
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