※このページの写真は2024年1月7日撮影
「いおちばた」と読みます。
平家の猛将、強弓で知られる平教経が源氏の大将・源義経を狙って矢を放ちますが、そうはさせまいと矢面に立つ人々がいました。
数人が倒れましたがその中の一人が佐藤継信。左肩から右脇腹にかけて矢が刺さり落馬。その首を取ろうと駆け寄る教経に仕える菊王丸、その菊王丸を狙ったのが佐藤継信の弟・忠信。
源氏方は佐藤継信が、平家方は菊王丸が討たれた、平家物語に描かれる迫力ある場面です。
碑のある場所は住宅が立ち並ぶ一角です。
解説板より
寿永4年2月19日(1185)源平合戦の際、源氏の武将・佐藤継信が大将 義経の身代わりとなり、平家の雄将・能登守 教経の強弓に射落された所です。
寿永4年2月19日(1185)源平合戦の際、源氏の武将・佐藤継信が大将 義経の身代わりとなり、平家の雄将・能登守 教経の強弓に射落された所です。
昭和6年継信の墓所大修築と共にこの地に柵をめぐらし池泉をつくり射落畠碑と、遠祖君乗馬 薄墨碑を建立し、これをあらわしました。
高松市教育委員会
射落畠碑の後ろにあるのが名馬・薄墨の碑です。
薄墨は源義経を保護していた奥州の藤原秀衡が義経に贈り、一ノ谷合戦で坂落としなどの場面にも登場します。
後に「大夫黒」と呼び名を変え、佐藤継信の弔いを頼んだ僧に贈られましたがこれまでの活躍の疲れか、寂しさなのかは分かりませんが佐藤継信に寄り添うように最期を迎えたとされています。
この射落畠碑から南へ徒歩6〜7の川沿いに大夫黒(ここでは大夫黒の名)の墓と同じ敷地内に佐藤継信の墓もあります。
※佐藤継信の墓は北へ徒歩30分強はかかる屋島東町にもあります。
読みにくいですが一ノ谷屋島などの文字はなんとか読めます。
入口近くにあるのが顕彰碑。
平教経の大活躍の場、ここで源義経を射落していれば平教経は平家の英雄になるはずだったのに佐藤継信が邪魔さえしなければ……と地団駄を踏みこそすれ佐藤継信を美談に思うことは微塵もないのが平家好きな個人的な意見です。
佐藤継信にギリギリしながら現地を訪れる私のような人はどれくらいいるのでしょうかね。
住所
香川県高松市牟礼町牟礼
交通
琴電「八栗」駅から北東へ徒歩4分
参拝について
自由
参拝目安時間
10分~
お気に入り度
☆☆☆☆☆
参拝日
2010/10/29、2024/01/07
備考
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