木曽義仲の墓や巴塚、山吹塚が境内に建ち並んでいます。義仲ゆかりの地を巡った松尾芭蕉の墓も。
2021年12月31日は雪が舞っていました。
木曽義仲の命日法要は主催別に1月に2度執り行われています
■主催:義仲寺
2022年1月15日レポート
https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/yoshinakaki2022/
■主催:木曽踊保存会
2019年1月20日レポート
https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/yoshinakaki836/
2歳の時、いとこの源義平と父・頼賢が対立[大蔵合戦]
頼賢は討ち取られ駒王丸(後の木曽義仲)も命を狙われましたが斎藤実盛などが匿い、木曽(現・長野県)中原兼遠に預けられました。
時は流れ以仁王の令旨で各地の源氏が挙兵、義仲もその1人でした。
木曽から北上、横田河原合戦、倶利伽羅峠合戦、砺波山合戦、志雄合戦などで平家を追落とし、その勢いで京へはいりました。
この時、平家は体制を立て直すために船で西へ向かいました。
京のしきたりを知らない義仲一行は野暮な振舞いだけでなく掠奪などをし、京の人々から嫌われた結果、後白河法皇と頼朝が手を組み義仲追討へと動き出しました。
頼朝の命で出陣した源範頼、義経軍と宇治川で合戦に。
主従5騎にまで減り粟津で義仲は馬が深田にはまり動けずに内甲を射られ首を取られました。
それを見た今井兼平は刀を咥え馬から飛び降り自害という壮絶な最期。
兼平は乳母子で死ぬ時は同じと決めていたのでした。
ちなみに義仲の父・頼賢を討った義平は頼朝、範頼、義経たちの1番上の兄です。
討たれた年代は異なりますが義仲親子はいとこたちにより命を奪われました。
その後、義仲の息子・義高も頼朝の命により…
最後まで共に戦った中で有名なのが
義仲の愛妾・巴
義仲の乳母子・今井兼平
※兼平の墓は京阪電車で6駅離れた地に建てられています。兼平については別ページに紹介予定です。
巴に関しては義仲が最期を迎える直前に落ち延びさせました。
最初はなかなか側を離れませんでしたが、ようやく諦めた巴は敵の中に分け入り御田八郎師重の首を掻き切って落ちていきました。
美談に聞こえますが個人的には義仲、もっと巴の気持ち考えろよって怒りに近い感情です。
戦に出るからにはきっと兼平のように、同じ場所で最期を迎えるか義仲を守って討ち取られるかの覚悟も決めていたはず。
その巴にまつわる地蔵が山門の脇にあり、境内には義仲の墓と並んで巴の供養塔も建てられています。
粟津合戦には病のため出陣出来なかった山吹の塚も境内にあります。
余談ですが大津駅前には山吹地蔵があり、桜が大変綺麗です。
義仲寺に話しを戻します。
義仲寺境内
国指定史跡
義仲寺(ぎちゅうじ)の名は源義仲を葬った塚のあるところからきていますが、室町時代末に、佐々木六角(ささきろっかく)氏が建立したとの伝えがあります。
門を入ると左奥に、俳聖(はいせい)松尾芭蕉の墓と並んで、木曽義仲の供養塔が立っています。
「木曽殿と背中合わせの寒さかな」という著名な句は、芭蕉の門人・又玄(ゆうげん)の作です。
境内にはこの句をはじめ、芭蕉の辞世の句「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」など多くの句碑があります。
また、巴御前を弔うために祀ったといわれる巴地蔵堂もあります。
昭和42(1967)年11月に国指定の史跡となりました。
平成4(1992)年3月
※巴地蔵堂は山門脇の赤い提灯が吊ってある堂です
受付横の資料観
入口には時を経て尼が義仲墓を守っており、その尼こそが巴であったことなどが書かれています。是非現地でご確認ください。
義仲の墓と並んでいるの巴塚です。
木曽義仲の愛妻・巴は義仲と共に討死の覚悟で此処、粟津野に来たが義仲が強いての言葉に最後の戦を行い敵将・恩田八郎を討ち取り、涙ながらに落ち延びた後、鎌倉幕府に捕らえられた。
和田義盛の妻となり、義盛戦死のあとは尼僧となり各地を廻り当地に暫く止まり亡き義仲の菩提を弔っていたという。
それより何処ともなく立ち去り信州木曽で90歳の生涯を閉じたと云う
山吹は義仲の妻とも妾とも云う。
病身のため京7に在ったが、義仲に逢わんと大津に来て義仲戦死の報を聞き悲嘆のあまり自害したとも捕われたとも云われその供養塚である。
元大津駅前に塚が在り、改築のためこの地に移されたものである。
JR大津駅前の山吹地蔵はこちら↓
春日町 | 義仲を追ってきた山吹を祀る 山吹地蔵 >> |
山吹 |
松尾芭蕉は平安末期から約500年後に生きた俳人で全国各地を巡り、現代ではその句碑が各地に建てられています。
そして木曽義仲 大好きだった芭蕉は義仲の墓の隣に自分の墓を建てさせました。
義仲寺の案内によると芭蕉の忌日「時雨忌」は毎年11月の第二土曜日だそうです。
義仲寺の奥にある木曽八幡社は受付でいただいた案内によると古図に描かれているらしく義仲寺の鎮守で鳥居は昭和51(1976)年に新造されたそうです。
木曽義仲の命日法要にはこの木曽八幡社や朝日堂で皆で拝みます。
1月に2度行われる「義仲忌」 ご都合がつけばどちらかに参列されてはいかがでしょうか。
■主催:義仲寺
2022年1月15日レポート
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■主催:木曽踊保存会
2019年1月20日レポート
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