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祇園堂<京都府京都市>

祇園女御塚

円山公園南側の『祇園堂』
平清盛の母と伝わる祇園女御(平家物語より。滋賀県の胡宮神社の文書によると清盛の母は祇園女御の妹。)が白河法皇から土地を賜った場所で入口には祇園女御供養塔が建てられています。

最近では素敵な御朱印も♪
第一弾と第二弾

いずれも数量限定で、第三弾の御朱印は2019年1月17~18日頃より。
冬のイメージで紫系の予定だそうです。

御朱印帳も今後予定されていると情報を得ました!

入口案内より
この京都祇園堂の付近には祇園女御の邸があったと伝えれています。
祇園女御は、白河法皇(1053~1129)の寵妃で、平家物語(巻六)によれば、法皇は子を孕んだ女御を平忠盛に賜り、生まれた子が後の平清盛であるとされています。
女御は屋敷の隣接地に阿弥陀堂を建立し、法皇崩御の後は法皇の菩提を弔って余生を送ったといわれています。

この地には、女御の菩提を弔う祇園女御塚が置かれていました。
京都祇園堂の建設中は移築していましたが、今般改めて建物前面に安置しました。
また、京都祇園堂一階奥には祇園女御の菩提を弔うべく阿弥陀如来を祀っております。

どうぞご自由に入館のうえご参拝ください。

祇園堂について

京都祇園堂

※「平家物語覚一本六巻 祇園女御」から補足※
5月20日過ぎの五月雨の夜、白河院が寵愛する祇園女御の住まい近くの御堂で頭部が針のように尖り銀色に光る怪しい物が現れました。

しかも手らしき左右に槌:つち:のようなものと光る何かが見受けられました。
白河院や他のお供たちは鬼だと震え慄き、白河院は頼りになるのは忠盛だけだと斬り伏せるなりするように命じました。

忠盛はどうせ狸か狐だろうから斬る必要もない。生捕りにしようと組みかかると「何をなさる!!」と言葉を発し、よく見ると60歳ころの法師だと発覚しました。
燈明を射そうと火と油を両手に持ち、その火で雨具としていた小麦の藁を編んだものが銀色に光り輝いていたのでした。

忠盛の冷静さに殺生をせずに済んだことを白河院は高く評価し、寵愛の祇園女御を忠盛に与えました。
この時、祇園女御は白河院の子がお腹の中におり産まれたのが平清盛とされています。

白河院からは女児なら我が子として、男児なら忠盛の子として武士として育てよと言われていました。

一見何の建物か分からないような外観ですが、御住職さんがいらっしゃって2階、3階は法事が出来る場所になっています。
外観

祇園女御供養塔

1階は祇園女御を弔うために阿弥陀如来が祀られ、壁にたくさん展示物があり、御住職さんが詳しく説明してくださいます(^-^)
堂内の展示

平安時代の身分制度

入って正面に祇園女御をイメージしたイラストが。
祇園堂のイラストなど

先ずは参拝

御住職さんのお話では祇園女御は鍛治師の娘で白拍子をしていたが白河法皇に気に入られたため、イラストは白拍子の姿ではなく、立派な着物になっているそうです。
白河法皇よりこの辺りに約80坪の土地を下賜され塚が築かれ、その後地元の女性たちの手で守られてきました。
昔も今も人通りが多いこの地に土地を与えられるのはすごいことだったそうです。

阿弥陀如来の両側の石仏は祇園女御が白拍子たちを供養するために作ったものだそうです。
祇園堂の阿弥陀如来

過去には祇園女御を模った石もあったそうなのですが、悲しいことに何者かが持ち去り今は阿弥陀如来と一緒に在りし日の写真が展示されています。
これは明治の頃の写真だそうです。
盗難にあった石

祇園女御について
展示パネルより
~ 祇園女御と京都祇園堂 ~
祇園女御廟 京都祇園堂は今から九百年以上前(長治2年)に平家隆盛の中にあって世の平安を願われた祇園女御が、専勝寺 阿彌陀堂(通称 祇園堂)を建立されたその地に、女御の菩提寺として建立された、女性のための”永代供養納骨堂”です。

祇園女御は幸運の人・慈悲の人
平安の昔、平家隆盛を極めた平清盛、その父は白河法皇であったと伝えられています。
その法皇の寵愛を受けた”祇園女御”が清盛の養親であるとされています(女御の子という説もあります)

出生も生没年も不詳で、いまだに謎の多い存在であると言われる女御ですが、低い身分でありながら、その美しさ故に法皇に見初められた幸運の人であるだけでなく、清盛や藤原璋子(待賢門院)などの不遇の子たちを数多く引き受けて養母となるなど慈悲深い女性としても知られ、平安後期の宮廷社会に大きな影響力を持つに至りました。

祇園女御は信心の人・一途な人
女御は屋敷の隣接地に祇園堂を建立し、丈六阿彌陀仏を祀って平家隆盛の時代に世の平安を願うなど、たいへん信心深い人として知られています。
また白河院崩御の後は、法皇の菩提を一途に弔いながら大往生を遂げました。

以前は毎年祇園をどりが近づくと、芸妓舞妓らが白河院の寵愛を受けた女御にあらからんと、女御の塚があったこの地に建立された”祇園女御廟”に参拝し、踊りの成功と無事を祈念する京の年中行事の舞台ともなっていました。
解説

まくずが原に伝わる謂れ

蝶紋にも注目

祇園堂内で茶碗や箸を販売されています。箸には蝶紋が!!
平家の家紋揚羽蝶

素敵な蝶紋の箸

エレベーターの扉も、平家の家紋である揚羽蝶にちなんで蝶にされたそうです。
蝶の装飾が美しい

その他色々

入口の「祇園堂」の文字は書道家の青柳美扇さんにお願いして堂内で書かれたものだそうです。
入口

書道家さんの経歴

とっても気さくな御住職さんなので、お話しやすく色々とエピソードも教えてくださいます。
他にもお参りの仕方や賽銭の金額など、何でも教えてくださいます(^-^)

3階の様子。
窓から知恩院の屋根や比叡山も見えます。
景色

ここで法事が執り行われます。
明かりとりの天窓もある

建物全てが石造りで、頑丈だが冬は寒いとおっしゃっていましたが、確かに寒かったです(^^;

法事がある日でも1階は拝観可能だそうです。
水曜日は休館ですが、それ以外でもたまに不在にされている場合があります。
定休日

遠方などでこの日しかお参り出来ない!と
いう場合は事前にお電話で確認された方が良いかもしれません。

近くには建礼門院が剃髪した長楽寺や、忠盛灯籠がある八坂神社(https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/tadamoritourou/)も。知恩院は平重盛の孫・源智上人が荒廃していた法然上人の墓などを修理し知恩院大谷寺としてお寺。
一度に源平ゆかりの地を多数参拝出来る地です。

住所
京都府京都市東山区祇園町南側604
交通
①京都市営地下鉄「東山」駅より徒歩15分
②京阪「祇園四条」駅より徒歩15分
③阪急「河原町」駅より徒歩20分

参拝について
水曜定休、無料、撮影可
参拝目安時間
60分~
お気に入り度
★★★★★
参拝日
2019/01/12他
公式ホームページ
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