和銅元年(708)元明天皇の勅願寺として建立。
400年以上経った安元元年(1175)、荒れ果てていた元明院を平重盛が再建しましたが、戦国時代に焼失したと伝わっています。
由緒は「亀岡源平ものがたり」を参考に、しかし廃寺との記載はなく実際に訪れた時の内容です。
住所
京都府亀岡市旭町
※美濃田区公民館(京都府亀岡市旭町里垣内58-1)から東へ真っ直ぐ徒歩約10分
※美濃田区公民館(京都府亀岡市旭町里垣内58-1)から東へ真っ直ぐ徒歩約10分
交通
探訪日
2017/04/13
備考
–
現在では廃寺に…
JR千代川駅からレンタサイクルで北東へ、ひらすら進んで地図にある元明院付近にたどり着くと…
行き止まり?
どの道を進んでも辿り着けず、散策中の方に尋ねると廃寺で立入り禁止になっているとのこと…どこかに入口はあるそうですが、無断で入らない方がいいと判断し、ここまでにしました。
また別の方のお話によると50年ほど前まではご住職の方がいらっしゃったそうです。
「亀岡源平ものがたり」によると、平重盛が再建したのは七伽藍ということなのでかなり広い寺院だったことが偲ばれます。
また、重盛の叔父・教盛が十二神将などを寄進したが後の世の戦乱で破壊されたそうです。
廃寺となっているのは残念ですが、地元の方から貴重な情報が得られたので良しとして岐路に着きました。
ご協力頂きました地元の方、ありがとうございました(^^)