「がんきょうじ」と読み、木曽義仲の愛妾・山吹御前が好きだったという古紅梅が春には山門の横で美しく咲いています。
見頃は3月中旬から4月頃のようです。
これは2020年3月15日撮影。ちょうどよい時期に参拝できました。
②JR「マキノ」駅またはJR「近江中庄」駅から湖国バス国境線に乗車「海津1区」バス停下車、北へ徒歩3分
※バスの本数少ないです
門前には山吹御前ゆかりの梅ついてのみ書かれていますが、『長浜みーなvol.113 湖北の源平ものがたり』によると開基は山吹と義仲の子供・義隆。
義仲が最期を迎えた粟津合戦の時、山吹は身重だったため京に残っていたが、義仲の後を追いここまでやってきて出産しました。
義隆は父の敵である源頼朝を討つつもりでしたが頼朝も亡くなり、出家、草庵を結んだことが願慶寺の始まりだそうです。
湖北の源平ものがたり(http://n-miina.net/back-no/?p=1978)にはさらに詳しく載っています(私は郵送で購入しました)
一般公開されていない山吹御前が出家した時の髪の毛の写真も掲載されています。
情報が少ないながらどうやら見頃は3月中旬~4月上旬のようで、開花が早いと言われる2020年3月1日でも蕾が多数でした。
2020年3月15日、見ごろでした。
山門のすぐ横にあるのが山吹ゆかりの紅梅。
写真を撮っているとお寺の方が出てこられてお話しをうかがえました。
根本には井伊直弼が詠んだ歌とともに五輪塔を積み重ねたような塔があり、山吹御前の遺木ということで何百年前からあるそうです。
幹は空洞化し、元気がなくなってきていている様子です。
昔から接ぎ木をし、今に伝えているとのことでした。
以前は今よりも色が濃く2、3メートル高かったそうですが台風の風を受けるの剪定し、現在は小ぶりになっているそうです。
観光寺院ではありませんが、境内は自由に参拝出来ました。
山門には松の枝が広がり、龍も立派です。
山号は梅霊山
願慶寺を後にして地元の方のオススメで参拝してみた正行院。願慶寺から徒歩3分。
こちらも梅が綺麗でした♪
山門付近の松の枝がすごい伸びてました!!
JRマキノ駅から約30分歩くか、バスです(駐車場は無さそう)
改札を出るとトイレ、観光案内についての貼り紙。
トイレは最近新設された様子できれいです。
青い線の「国境線」乗車です。
海津1区で下車徒歩3分です。
バスは本数が少ないため歩くか、レンタサイクルもいいかもしれません。
JRマキノ駅から南へまっすぐ徒歩10分弱で大きな建物、その先に琵琶湖が見える場所に到着します。
平経正が立ち寄った竹生島が見えます。
ベンチも。
道路側には高木浜の由緒も。
琵琶湖を泳ぐ群れ。
建物の間から琵琶湖が見える場所が何箇所かあります。
海津港の説明も。
湖なのに「海」と付くのが不思議です。
海津港の開港は明瞭ではないが、平安末期の源平盛衰記
鳥羽天皇御代に藤原仲実が越前守に任ぜられ海津に立ち寄った時「かいつの里」という言葉のついた歌を詠んでいる。
この頃より海津港が発展し始め、特に豊臣秀吉の頃大谷吉隆によって中村と中小路との間に船の出入りをする川を掘って以来、大津に次いだ大きな港として発展した。
海津東浜は江戸時代には北陸と大津を結ぶ重要な港場であり宿場町として大いに栄えた。
明治3年(1867)郡山藩の許可を受けた磯野源兵衛と井花伊兵衛らが共同して蒸気船を購入し、大津~海津間の航路を開いた。
これが太湖汽船琵琶湖汽船の母体となった。その桟橋は抗(杭?)のみを今に残している。
平清盛の父・忠盛が仕えていたのが鳥羽天皇。その頃から発展したようです。
平安末期の琵琶湖はどんな風景だったのか、などと想像しながら歩くのもいいものですね。
■旧海津港跡
この付近のマンホール。ウグイスが描かれています。
マキノ駅から琵琶湖沿いに東へ歩くと和菓子、洋菓子を販売されている「近江 駿河屋」さん。
前述の湖のテラスと旧海津港跡の中間くらいです。
店内の椅子で食べることができて、コーヒーはサービスしてくださいました。
写真はタルトフロマージュ300円税込。
ありがとうございました!
今度訪れるときはチーズケーキ食べたい…♪
お店の方が気さくな方で80歳近いそうですが、とてもお元気です。
地元の方も買いにこられていてこの辺りの方々はあたたかい人々ばかりで良いところです。
目の前に広がる琵琶湖をみていると心も穏やかになるのかもしれませんね。