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風呂の井戸<福岡県北九州市>

平家史蹟

都落ちした平家が場所を転々としながら旅の疲れを癒すために使われた風呂の水の言い伝えが残されています。

安徳天皇はこの時数え年で5歳。
風呂のことは覚えていない可能性が…
仏壇店の前

住所
福岡県北九州市門司区柳町2丁目
交通
JR「門司」駅徒歩10分

探訪について
自由
探訪目安時間
15分~
お気に入り度
★★★☆☆
探訪日
2016/7/31
備考
解説板より
■風呂の井戸
木曽義仲の乱入で京都を追われた平家は再起の地を大宰府に求めたが緒方惟義の反逆にあい住吉、箱崎、香椎、宗像をふしおがみ、芦屋から海路この柳ヶ浦につき「内裏」を定めたのが寿永2年の秋であった。

旅の疲れをいやすための風呂の用水がこの「鏡ヶ池の玉水」で以来この泉を「安徳帝風呂の井戸」といゝ伝えられている。
この周辺の字名は風呂となっているが大正の末期に不老として町名にした。

■風呂の地蔵
一度は西下した平家も空しく引揚げ一ノ谷で敗れ再び西下、壇の浦の藻屑と消えたのが寿永4年であった。
平家一門の霊を祀った風呂禅院西光山大専寺は柳村に在ったが慶長年間に改宗して街道筋に移され、地蔵堂だけは風呂の一角に残されていた。

今改めて小堂を建立し御幼帝の霊を弔う。合掌

昭和46年8月 柳共有組合
由来

街中の一角

仏壇店の隣、車通り沿いから見ると「平家史蹟 風呂の井戸」の碑と石、赤い屋根の小さな建物が見えます。
後ろから見ると

建物側に回って近づいてみると…
地蔵堂

右上に「安徳天皇」と刻まれています♪
碑

その下にはポンプも設置されています。
これは今も使われているのでしょうか??
街角にある

赤い屋根の建物は安徳天皇を弔うための風呂の地蔵堂。中の様子は分かりませんでした。
よく見えない

平家史蹟

下記、不老の由来とともに訪れるとより話がつながります。

地名となった風呂

不老通り

門司駅前西交差点から風呂の井戸の西側の通り名が「不老通り」として今に残っています。

解説板より
「不老」の由来

寿永2年(1183)平家が安徳天皇を奉じて芦屋からこの地に着いた際、旅の疲れをいやすため鏡ヶ池と呼ばれる泉から水を汲んで風呂の用水にしたことから起った地名であると伝えられている。

このあたり一帯を昔「風呂」といっていたが大正時代に道路を整備した際「不老」に変わりその後永く親しまれてきた。

現在は住居表示によって「高田町」となっている。

北九州市

町名・不老

平家に関する地名も嬉しいですね。

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