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伝・大江広元の墓<神奈川県鎌倉市>

※このページの写真は2025年1月12日撮影

すごく簡単に大江広元について。

ー大江氏の子供として生まれ、中原氏の養子となり、そして晩年に大江氏を名乗る。京で朝廷に仕えていましたが、兄にあたる中原親能が頼朝と関係が良かったため、広元は京から鎌倉へ移住して頼朝が現役の時はもちろん没後も重要な役割を果たすー

複雑な経歴ですが、文筆に長けた広元は鎌倉で重用されたことで歴史に名を残す人物になりました。

鎌倉へ下向したのは寿永3(1184)年。
一ノ谷合戦があった年、壇ノ浦合戦の前年です。私のような壇ノ浦合戦でほぼ全てが終わったと感じている人間にとっては寿永3年では遅いように思いましたが、よく考えれば鎌倉では正にこれから!!という時期ですね。

大江広元は頼朝より一つ年下の久安4(1148)年生まれとされ、嘉禄元年(1225)6月10日に没しました。

大江広元の墓と伝わる塔が鎌倉の市街地の一角にある山の中にあります。ハイキングコースを歩いて行くのですが、自分が思うハイキングとは程遠かったです。

このハイキングコースから入って行きました。
土道

地図の点線の道です。

最初は両側が花壇のような…??
花壇

しかしあっという間に山道の光景が広がります。

到着!!

後ろというかどこが正面??

謎の石。これは…??
どなたかご存知の方いらっしゃいませんか?

なかなかすごい場所なのにすれ違う人が数名いて、しかも地元と思われる方はスッスッと歩かれていて驚きが多かったです。

住所
神奈川県鎌倉市浄明寺
交通
鎌倉駅からバス乗車、十二所バス停下車、ハイキングコース入口まで徒歩10分
そこから墓まで約30分

参拝について
自由
参拝目安時間
10分~
備考
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