安徳天皇・平家一門 御霊会として行われている平家琵琶を拝聴してきました。
2024年4月21日開催。
大日寺さんについて。この日は雨だったので過去に撮影した写真です
平清盛公創建
安徳天皇勅願所
旧和田岬燈篭堂
万代山 大日寺略縁起
寺伝では、平安時代後期の嘉応元年(1169)、平清盛公が和田岬の浜に僧侶1000余人を集めて大輪田泊(現在の兵庫港)と瀬戸内航路の海上安全の為に萬灯会:まんとうえ:を行った時に燈籠堂を建立し、法華経をお祀りしたのが当寺の始まりと伝わる。
その年から春と秋の年2回、燈籠堂の浜にて千僧供養が行われていました。
承安2年(1172)の春には後白河法皇が行幸され、阿弥陀如来をお祀りし千人の僧侶と読経し、この時に西行法師も参列し「きえぬべき法のひかりの灯(ともしび)をかかぐる和田の御崎:みさき:(泊)なりけり」と詠っております。
治承4年(1180)に和田京を造営の折、清盛公が燈籠堂を寺とし、万代山 安養寺:ばんだいさん あんようじ:と号す。
その折、安徳天皇の玉帯安穏:ぎょくたいあんのん:と国家安泰を祈るために一字金輪尊:いちじきんりんそん:(大日如来)を祀り御願所となりました。
その後、源平の戦火で堂塔伽藍がすべて焼失しましたが、平家滅亡の後に平家一門の菩提を弔う為に建礼門院の発願で諸方:しょほう:より寄道を受け再建されました。
鎌倉時代に入り弘安8年(1285)8月には奈良西大寺の興正菩薩 叡尊:こうしょうぼさつ えいそん:が来られて菩薩戒を972人授け、遊女1700余人に持斎戒:じさいかい:を授けられました。
(中略)
元禄(1688~1703)以後、時代の変遷により住職不在で廃寺となり西尻池村の大日堂と呼ばれていました。
本尊、什物、古文書はすべて紛失し、本堂と青山候の位牌、鎌倉時代頃の作と伝えられている町石:ちょうせき:のみ残りました。
大正末期に純真和上:じゅんしんわじょう:が入寺され、名刹が廃寺の憂き目に遭っているのを嘆き、大日堂を和上の師の寺である播州朝日山大日寺の別院として自ら中興開山第一世となり大日寺と寺名を改め再建された。
太平洋戦争中、昭和19年の神戸空襲でも本堂は被害を免れ、被災者の救護所として利用されました。
平成18年に朝日山別院を返上し、旧に復して万代山と山号を戻して現在に至っております。
昔は法要と芸能がセットだったそうで、安徳天皇の御位牌を中心に、建礼門院や平清盛公、大日寺歴代のご住職の御位牌、建礼門院他の肖像画が安置された内陣に向かって祭文や般若心経を唱えられました。
安徳天皇の御位牌の左が平清盛公(浄海)の御位牌。
後方には平清盛公像も。
左から
阿波内侍、建礼門院、大納言典侍
お経が終わるとすぐに平家琵琶の演奏。
平家琵琶や演目の他に、般若心経、平家物語の成り立ちから平家琵琶がおかれている現況などが詳しく書かれた冊子が配布され、この冊子だけでもかなり価値があります。
2024年の一座(14時の回)
桜
生食:いけずき:
宇治川
でした。
桜と生食は大日寺のご住職・高橋弘圓氏が、宇治川はその先生の甲斐元薫氏が演奏されました。
途中までですが、生食の動画です(約17分)
宇治川も動画を撮る予定で、冊子を見ながら録画したい箇所を決めてそれまではしっかり自分の耳で聴いていました。
いざ、動画を撮ろうとすると…終了!
録画したかった箇所は楽譜は残っているけど、伝わっていないそうです😢
なので甲斐元薫氏の写真のみ掲載します。
気になる方は来年、大日寺さんへ!!
4月中旬~下旬ころに予定されているそうです。
ご参考までに2023年は4月23日(日)、2024年は4日21日(日)
一座が14時、二座が17時 どちらも約1時間
申込み不要、無料でした。
日程は大日寺さんのFacebookページまたは、Instagramでお知らせされています。
Facebook:https://www.facebook.com/bandaisan.dainichiji
Instagram:https://www.instagram.com/bandaisan.dainichiji/?hl=ja
貴重な平家琵琶の奉納演奏と法要を誠にありがとうございました!!
平家物語が描かれた屏風も素敵です。