歌人の他、鵺退治が有名な源頼政。
その妻はここ、古奈:こな:出身の菖蒲御前。
7月の第一土曜、日曜には菖蒲御前を偲んで『源氏あやめ祭』が行われていて、祭りは15時からですが供養祭は11時半から。
供養祭は観光協会の方々が準備されていました。
Tシャツが笹竜胆。
周囲は色とりどりの風車で華やかになっていました。
テントは関係者や議員さん用。
一般は周囲から見学。
先ずは菖蒲の生涯と頼政の馴れ初めの朗読。
朗読では頼政49歳、菖蒲16歳。
結構年が離れていますね。
次に読経が始まります。
この間に関係者はお焼香。
導師様はここ古奈もみじ公園から南西に約10km離れた沼津市にある禅長寺の御住職。
禅長寺には頼政と菖蒲の墓があるそうです。
沼津市の公式ホームページの禅長寺ページ↓
https://www.city.numazu.shizuoka.jp/shisei/profile/bunkazai/jiinn/zenchou.htm
遠いけどお参りしたい!!
後半は数名の方がご挨拶でお話しされていました。
動画は観光協会の方。
動画内でおっしゃっていたように源氏あやめ祭は2024年で89回。菖蒲の享年は89歳とされていて、89が重なる年に初めて参加できたのは嬉しい偶然でした。
以前は菖蒲と頼政に扮装した方の練り歩きもあったそうですが、今年は無し。
個人的には厳かな供養の方が好みなので今年は私が参加するにはもってこいだったと勝手に思っています。
朗読には登場しませんでしたが菖蒲御前のために読んだ頼政の歌は歌碑になってアクシスかつらぎ(伊豆の国市長岡総合会館)敷地内にありました!!
伊豆の国市のホームページによると「五月雨に沢辺のまこも水越えて何れあやめと引きぞわずらう」という歌だそうです。
その隣のお手洗いと待合所にも菖蒲と頼政の名が付けられています。
ところでこの日、頼政祭のトートバッグで出かけたところ、観光協会の方が気付いて参考にトートバッグの写真撮らせてくださいと言われ、頼政祭が行われた長明寺に行ってみようともおっしゃっていました😊
トートバッグについては頼政祭のレポートをご覧ください↓
https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/yorimasa_sai2024/
ちなみに供養塔があるもみじ公園の出入口には立体的にみえる鵺と頼政が!!
階段上から見るとスゴイ、立体的!!
トリックアートと頼政の歌碑については伊豆の国市のホームページに↓
https://www.city.izunokuni.shizuoka.jp/taiga/torick/nuetaizji.html
供養祭の後はもみじ公園に隣接の源氏山と、弥勒山 西琳寺へも立ち寄ってみました。
源氏山には菖蒲御前広場があり、夜はライトアップの祭りになるそうです。
公園の北側に石畳が続いていて進んでいくと正面に畳屋さん。
そのすぐ脇に階段があり、菖蒲御前邸跡のことが書かれています。
邸跡の石は欠けているのか、菖蒲の文字は分かりかねましたが何となく読み取れました(写真内の文字が間違っていたらご指摘ください)
ちなみに説明の場所から徒歩30秒ほどですがこの場所は近づいていいのか迷う場所にあります💦
元の道に戻り源氏山方向へ進んでいくと弥勒山 西琳寺がすぐ近くにあり、境内へ続いています。(写真奥の明るい部分が寺)
正面にまわると由来がありました。
ただ、境内には供養塔は無く古奈もみじ公園の供養塔がそれに該当するのかも知れません。
また美女桜は源氏山へ続く道中にありますのでこの後に記載します。
由来付近の道路はあやめ小路と名付けられていました!
その根元には仲良さそうな2人が。
道祖神の説明がありました。
下記の写真の場所まで戻って源氏山へ。
この階段を上っていく途中で弥勒堂へ続く階段があります。
赤い幟が見えるところが弥勒堂へ続く階段です。
下記写真の右側の少し太い木が美女桜のようです。
桜の季節に来てみたいものです。
美女桜より高い場所に弥勒堂があります。
弥勒堂へ続く分かれ道まで戻ってひたすら階段を上ると十字路にでます。
そのまま正面の坂を下っていくと菖蒲御前広場で、この日は祭りのため風車が多数飾られていました。
菖蒲のついて書かれた説明と、大きな石仏。
近くに毘沙門天も。
パンフレットには風車の奉納が14時から21時となっていて受付の机も用意されていましたが14時頃でも無人。
夜はライトアップされるそうですが、供養祭から夜までは長く熱中症の危険もあるためこの日はここまでにしました。
南へ徒歩30分ほどのところに頼朝に従い幾度も合戦に出陣した天野遠景の墓もあるのですが、また伊豆の国市に来たときに訪れたいと思います。
伊豆の国市の花は菖蒲。