※このページの写真は2023年5月2日撮影
壇ノ浦合戦で平家一門と一緒に波の下の都に向った安徳天皇の遺体は網にかかり、ここに一時的に安置されたとされています。
解説板より
第81代安徳天皇は寿永4年(1185)3月24日 源平船合戦において、平家一門と下関壇ノ浦に入水し給えり。
第81代安徳天皇は寿永4年(1185)3月24日 源平船合戦において、平家一門と下関壇ノ浦に入水し給えり。
そのご尊骸はここ小門海峡に流れ着き、中島組のいわし網に引き上げられしと伝う。
その後、関門海峡に臨む阿弥陀寺境内(現・阿弥陀寺町 赤間神宮)に
陵を築き、天皇殿を建立せり。
すなわち、この小門の地は先帝祭御神幸祭お旅所として『先帝祭上臈参拝』の翌日(5月4日)中島家の子孫賑々しく御神幸祭の行列を奉迎して、厳粛なる祭事が執行され、今に絶ゆることなし。
當地伊崎町に中島家と称するあり、傳う云う是れ正しく平家の遺裔にして、代々名を四郎太夫と称せり、先帝會には古来、先ずこの四郎太夫参拝し、次に女郎の参拝焼香するを常とす。
若し中島四郎太夫にして、参拝せざる間は、何人も之を為すことを得ざる今もこれ然りを、以て其の由緒深きを知るべきなり。
中島家 赤間神宮 建立
歩道から望遠で撮影しました。祭壇のようなものが見えます。
祭壇?の上。こちらは横から撮影。
御旅所の正面が彦島です。
駅から少し歩きます、潮風に吹かれながらここで安徳天皇を偲ぶのも一つです。
住所
山口県下関市伊崎町
交通
JR下関駅から北西へ徒歩25分
参拝について
歩道から自由見学 ※入れません
参拝目安時間
10分~
参拝日
2023/05/02、2007/09/23
参考サイト
下関観光ガイドブックWEB版ホームページ