歩道にあり、生活に馴染んでいるかのような碑ですが壇の浦合戦後の平家の官女たちのことや先帝祭の上臈参拝の由来などが記されています。
住所
山口県下関市赤間町
交通
jr下関駅からサンデン交通、「唐戸」バス停下車徒歩7分
※赤間神宮へ徒歩12分
※赤間神宮へ徒歩12分
探訪について
自由
探訪目安時間
10分~
お気に入り度
★★☆☆☆
探訪日
2017/03/04
備考
–
解説板より
昭和20年代まで稲荷町と呼ばれたこの地の町名は、大同4年(809)の創建と伝えられる稲荷神社に由来するもので、北前船の寄港で栄えた江戸時代には、平家生き残りの官女らとの血縁が語られる遊女に端を発した、格式の高い花街として広くその名を知られた裏町がありました。
昭和20年代まで稲荷町と呼ばれたこの地の町名は、大同4年(809)の創建と伝えられる稲荷神社に由来するもので、北前船の寄港で栄えた江戸時代には、平家生き残りの官女らとの血縁が語られる遊女に端を発した、格式の高い花街として広くその名を知られた裏町がありました。
最盛時、大坂屋を中心とした花魁芝居や先帝祭の上臈参拝行事の起源の地としても知られ、また幕末維新の時には高杉晋作、伊藤博文ら若き志士たちが往来した所でもある。
昭和61年4月吉日建立
赤間町自治会 下関飲料組合
赤間町自治会 下関飲料組合
戦に負けても女性は命を狙われることがなかったため、生き延びた官女たちはこの地で生きたことが偲ばれる内容ですね。
街中の生活感ある風景に馴染んでいます。
↓3行目に「平家生き残りの官女らとの血縁」
↓5行目に「先帝祭の上臈参拝行事の起源の地」